うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

ちょっとそれどころじゃない感じ、と思わなくていいように準備してきたのにな

いま多くの人が、というか、予定が変わっていない人なんてひとりもいないであろう事態が静かに始まってから、そろそろ一か月になりますね。
これは経験したことのない種類のパニックだなぁと思いつつ、周りを見回すとそれは胸にしまって沈黙する賢者が多い。なるべく疑心暗鬼にならないようにつとめ、ニュースにふりまわされそうになる瞬間にも「これはいったいどういう情報で、いま自分の中で起こっているのはどういう反応で、どこまでが自分のオリジナルな感情か」という立ち止まりを心がける人がいる。周囲の人と静かに支えあいながら日常が回っている。

 


そんなさなかに、わたしは転職をしました。昨年の秋の時点で職場の移転が決まっていて、引っ越しのタイミングがまさにコロナ騒動の始まりのころでした。もともと2020年は年頭からさまざまな思考要件を減らし、ブログのコンテンツも1月のうちに膨大なストックを準備し、現実のわたしは静かに新しい道を探して歩いてきました。前から決めていたことをやるだけでも緊張していたのに、ここ一か月は想定外の確認事項が増え、ますます試されていると感じる日々でした。
試されているのは誰にかというと、神に。わたしの中にある「存在」の管理者に。

 


契約前に想定外の確認事項が増えるのは、誰のせいでもない。いまはすべての人に初めてのことが起こっている。
「念のため確認なんですが…」と求められるやりとりの数々は、わたしを排除するためのもの? いや、むしろ受け入れるためのものだよね。のはず。うーん、でも…。いや、待てよ…。
── と、こんなふうにネガティブな思考が発動する。不測の事態のなかでは、人権侵害もコンプライアンス違反も起こりやすくなる。これはわたしだから起こっていることではないと思いつつ、久しぶりにクラクラするようなやりとりがありました。

その後、心を整理するためにわたしの頭のなかに住んでいる思考の調理パターンのひとつを掘り下げました。

 


追い込まれていると感じるときほど、頭の中に多くの言葉が浮かびます。普段よりも色の濃い言葉が浮かんでくる。
自分の毒が自分に回ってじわりじわりと濃度が上がっていく。それを薄めてくれるのは、ヨガの練習で得た方法。呼吸法で浄化してアーサナで浄化して瞑想で浄化して。なんとか狂わないように。そんなふうに感じることが何度かありました。

 

 


次の仕事を探すにあたっては、異様な空間での圧迫面接めいたコミュニケーションを経験し、これまでぼんやり生きてきた分のなにかを清算すべく与えられた試練かと思いつつ、なるほどこういうことってあるんだな…とこの世の現実を見ました。記憶している脳内映像は、まるでバブル時代のコントのよう。それにしても、あれは何だったのだろう・・・。

 


そしてここ一か月は、宙ぶらりんの期間に予定していた旅行が航空会社側からキャンセルされ、踏んだり蹴ったりというか、踏まれたり蹴られたりで、ぺしゃんこ。でもわたしは立っている。片脚でも思いのほかしっかり立っている(練習してきてよかった!)。

新卒採用の学生の内定が取り消しになったというニュースを聞くと、つられて毛穴が開きます。自分もそうなるのかと思うやりとりを経験し、そのたびに発熱したような体感が起こり、そこからコロナ妄想に… という全身思考を経験しました。狂いそうになるときって、体温まで変化する感覚に陥るものなんですね。

 


そんな心配が続いた一方で、新たな仕事場では世の中がどんよりしていることもあってか「新しい人が来ただけで、なんかうれしい」というプリミティブな反応をされ、はじめの数日はまるで中国からやってきたパンダのようでした。そしてパンダ同様、わたしもすぐに繁殖を始めなければいけません。喩えはナマナマしいけれど、中年の転職にはどうにもそんな風情があります。

 


── いろいろ、ある程度は想定していたけれど・・・
ライフスタイルの変化は大きなものが重なるとメンタルに負担がかかるので、今回は自分なりに工夫しながら準備してきたつもりでした。
ここ数か月は、前向きな気持ちから発せられる頼まれごとも、いまはその決断が負担になると感じたときは回避してきました。友人には理由を話していたけれど、話さないことのほうがほとんどでした。でもコロナの件でいろいろシャッフルされちゃった。いまは心にさまざまな色があふれているはずなのに、その色を見分けることができない。

 

 

わたしは奴に言いたい。
「コロナよ。あなたが繁殖したくてムラムラしてるのは知ってる。あなたいま旬だもんね。でもね、わたしも別の意味で繁殖しなきゃいけないの。ちょっとそこで静かにしててくれるかな」と言いたい。不安の種の存在はいったん横に置いてといて、いまのわたしは精神面で免疫力を上げていきたい。

 


そんなこんなで社会的センチメンタル・ジャーニーの途中にいるわたしは、毎日ふとした瞬間に、目の前の人といっしょに同時代をサバイブしてるなぁ…と感じます。見知らぬ人に対しても、電車の中でふとそんな思いがこみあがってくる。その現実のぬくもりに支えられている。こんなことで泣けてくるなんて、わたしはたぶん、疲れてる。でもがんばりたい。がんばりたいの。

「御し方」と「処し方」が同時に問われて大変な時だけれど、目を開ければ仲間はいる。なるべく余計な口は開かずに、ニヤニヤしながらゆくのです。
(´v`)