うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

文藝春秋SPECIAL 2017年夏号<巻頭特集 橘玲・特別監修「もっと言ってはいけない 脳と心の正体」>


雑誌のKindle版です。脳とメンタル、マインドに関するさまざまな対談やコラムが収録されていて、移動中や入浴中にちびちび読むのにとてもよい内容。社会とつながっていられている気分になれました。
どれもおもしろかったのですが、最後の「特別講義 土地を知れば日本史がわかる 本郷和人」は、まるでためになる歴史の授業を聞いているかのよう。「私は鎌倉幕府が潰れた最大の要因は、貨幣経済の発展にあったと考えています。」という著者のかたの解説のトーンが、こんな感じで…

 二度目の元寇から四年後の一ニ八五年、霜月騒動が起こります。私の考えでは、これはオール・ジャパン派と御家人ファースト派の争いでした。

おもしろい…。普通に○○派対○○派といわれるよりも、感じが伝わってきます。


中野信子さんの「サイコパスだけじゃない 危険な脳の扱い方」では、ドイツ語で「シャーデンフロイデ」というものが以下のように解説されており

「妬み」は、自分と同等と思われる相手が自分よりも少し得をしたとき、最も強くなることがわかっています。すると、人はその相手を引きずり下ろそうとする。そのときに感じる喜びのことを、ドイツ語で「シャーデンフロイデ」と言います。日本語で言うと「他人の不幸は密の味」でしょうか。

わたしはこの部分を読みながら、「自分と同等と思われる相手が自分よりも少し得をしたとき」というところがひっかかりました。
いま読んでいるサマセット・モームの小説「お菓子とビール」にある以下の部分と印象が重なりました。

 人生を生きていくに際して、対処しなければならない問題の一つは友人関係である。昔とても親しかったが、その後興味を失ってしまった場合どうするか。もし両方ともうだつが上がらぬ状態なら、別れも自然に運び、悪感情は残らない。しかし一方が有名になると、微妙な状態になる。

こちらの場合は「他人の幸福は毒の味」という感情。「お菓子とビール」は作家同士のやりとりからはじまる小説で「もし両方ともうだつが上がらぬ状態なら、別れも自然に運び、悪感情は残らない」というところが、ほんとうにそうであるなぁ! と妙に納得していたところなのでした。いずれも、他人のことを「自分と同等」と100%思える条件などありえないはずなのに。不思議な感情です。



堀内進之介さんの「ポスト・トランプ時代の政治」は、すごく説明がじょうずで、わたしがトランプ大統領が誕生したときに「ああ、こういうバランスの取り方になるのか」と漠然と思っていたことが、理路整然と書かれていました。以下引用。

 そもそも民主主義とは少数のより賢い者の政治よりも、そうでない多数の政治の方が、よりましであるということである。それがいやなら少数の賢者による政治=貴族政か、賢人=哲人の支配しかない。しかしどれだけ賢くても人は必ず間違う。
 そのとき、すぐ間違いを正すことができるように、われわれの祖先が選んだのが民主主義だったはずだ。そう考えれば、トランプ氏という選択は、アメリカ人以外のわれわれにとって納得のいかないものであるが、彼らにとっては、それなりに伝統にのっとった合理的なものであることがわかるだろう。

このトピックでは「理性の暴走」の危険性についても触れられており、ニュースを見ながら「んーでもこれは日本人としての視点だよなぁ…」と半分自覚しながら感じるモヤモヤを紐解かれるような、すばらしい内容でした。

あまり昔の本ばかり読んでいると時代に取り残されているような気分になりがちですが、この雑誌の中で書かれていることはインド思想の中にすでにあるものだったりもして、夢や睡眠のこと、腸とメンタルのこと、さまざまな視点で気がつくと答え合わせをはじめていました。マインドフルネスに関するトピックは「ずいぶん、ふわっとしているな」という印象を受けましたが、そもそもふわっとしたものがウケているのだろうな…とも思いました。