うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

デジタル・デトックスは特にしないけど、テレビとLINEがない

今年は夏に友人が何人か家に遊びに来てくれて、「○○、ないのね」といわれることがいくつかありました。
テレビ、エアコン、テーブル、ソファ、ドレッサー、掃除機、電子レンジ、クローゼット… ほかにも、本はたったのこれだけかとか、靴はこれだけかとか、化粧品はどこにあるのかとか。

本についてはなるべく電子で買うのだけど、ぶ厚いものはノートに手書きで転記をして保管しています。転記すると身体に入ってくるので、アーサナの練習と似たような感じでやっています。使う時間と生産する肩こりは莫大ですが、収納はこれでかなりコンパクトになります。

服や靴は…、これはあらためて言うと「ほんとだ!」と気づかれるのですが、わたしいつも同じ服ですよね、だいたい(笑)。数年分の旅行記を見ても、いつも同じ服です


わたしは仕事柄、デジタル・デトックスはやりにくいです。
それでもいまは以前のように休日や就業後に連絡が来るとかではないから、稼動日に仕事で使うチャットアプリが立ち上がればOK。いろいろな面で、中断されずに集中できる時間が増えました。
家電は寿命になったら買い足さない、ということをしていったら減っていっただけで、以前はテレビも掃除機も電子レンジも持っていました。


ひとつ、わりと明確な意思を持って取り入れていないのはLINEです。2012年から使っていません。
2012年に触ってすぐに「これ、やばいやつだ…」と感じました。機能はスカイプとおおむね一緒だけど、これはやばい、流行る! と思いました。
日本人の村社会マインドにハマりすぎる仕様かつ、無料を打ち出している。mixiが流行った時の「足あと」の怖さに近いものが、もっとポジティブにすごい勢いで太陽のような笑顔で近づいてくる、そんな感じがしました。


わたしはデジタル機器自体は苦手じゃないのですが、人間同士の関係性を理解・記憶・想像するのがあまりじょうずにできません。
携帯メールでもむずかしいのに、ここに既読とか未読とかグループとかレスのスピードとかという時間軸が入ると、追い詰められると思いました。正確にいうと、追い詰められた人の妄想の風に当たることを想像しました。わたしはそれまで基本的に「即レス」がいいという価値観でやっていたのですが、携帯メール文化の時点で「電報みたい」「機嫌が悪いのか」と言われることがあったので、「既読」という仕組みを見たときに完全に引き際だと思いました。

先日うちへ遊びに来てくれた友人が「学校関連の連絡がLINEなのがしんどい」と話していました。子どもを三人育てているので、これはまだまだ続きそうだと。こういうデジタル・デバイドはきついなぁと感じます。便利ではあるけれど、若い女の子を口説きたいおじさんでもないと、わくわくするようなメリットがない。



テレビは地デジ化の大きな流れのときに降りたのですが、LINEのような「これは普及するだろうな…」と思う流れがきたときに、自分の制御で降りるという選択をしたのははじめてです。以前は仕事柄そういう降りかたができないというか、新しいツールやアプリを使ってなんぼの職種だったので、職場を変えるのと同時に降りました。というか、このタイミングで仕事も変えました。
いまはなんとなく「狂わずにすんだ」みたいな感覚が少しあります。もともと自分はすごく流されやすいと思っているので、そんなふうに感じます。


そんなわたしも、今年はちょっと大きな買い物をしました。自転車を買いました。
今までは8キロくらいまでなら時間の計算ができて、「信号にたくさんつかまっても、小走りすれば時間調整できる」という自信があったのだけど、夏に自転車を買いました。
自転車に乗るようになってから、サングラスもするようになりました。自転車って、ラクですね…。つい乗ってしまいます。足腰弱るかなー。