芥川龍之介さんは、なんというか、圧倒的に洗練されていますね。
この「芋粥」は執着の話なのだけど、いわゆる漱石さんや太宰さんが得意とするアハンカーラ(エゴ・我執)とはひと味もふた味も違う。
なにげに口にしてしまった「意志と願いのあいだのようなもの(ぬるいサンカルパ)」が引き起こす喜劇のような悲劇に、「記憶(スムルティ)」が絡んで織り成される物語。
・・・。なんかおかしい
という感じが、おしゃれ。
それなのに、圧倒的にいやなところがギュッとなる。
ギュッとなるのは、差別されたり支配されたことに気づくときの「なにか」であり、さらにそれを免罪符に思考停止している自分を認めざるをえないときの「なにか」でもある。すんごいきっついところをツンツンしてきます。
この物語を読んで、「金と権威で解決できる目標は立てるもんじゃない。ましてや、口にするなんてもってのほか」と、あらためて思いました。
このように、学びはとても深い。
なのに
そこはかとなく、おかしい
ものすごくいや〜なところを探られているのに、なぜか、すこし気持ちがいい芥川マジック。
漱石さんは、エゴも自然現象も多角的に分解する力と緻密さに、納得。
太宰さんは、感情の伸縮を見るのも扱うのもおもしろいことに、納得。
芥川さんは、、、
なんか頭の中が異常にオシャレっすね。
と思う。
頭の中がオシャレって、すごくいいんです。読後に下品な感情が発動しない。
こういう技術って、どうやったら身につくのだろう。あこがれてしまいます。
▼紙の本
▼まあまあ短編なのでWebでも読めます