うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

「皮膚と心」でOLさんたちと読書会をやった

「なんか、うちこさんのやってる読書会、楽しそう〜」と、ヨガに関係ない筋の知人OLさんたちがじわじわ攻め込んできまして(笑)。
「わたしの読書会はヨガ用語が使われるので、一緒に練習をしたことのある人しかお誘いできないのですよ」としつつも、「すごく軽い感じでなら……太宰治の短編作品なら、勉強系の脳みそを使わずに仕切れます。やります?」と言ったら「やるやるー!」となり、結局やりました。
課題図書は【「皮膚と心」太宰治 著
宿題もライト版でしたが、みなさん真面目に提出してくださいました。それぞれがお話くださった印象に残る描写とその理由からの展開を、ちょこっとだけご紹介します。



▼Aさんのセレクト

吹出物だけは、ほんとうに、ふだんの用心で防ぐことができない、何かしら天意に依るもののように思われます。

⇒自らの経験を思い出し、「昔の恋で、人ならぬ道に進もうとした朝にメンチョができた話」を回想しながらご披露。
赤裸々っすねー! いいっすねー。発言小町っぽい下世話さがたまりません。いいねぇOL読書会。関西のギーター会みたいだ。
 



▼Bさんのセレクト

結婚詐欺。唐突にそんなひどい言葉も思い出され、あの人を追いかけて行って、ぶってやりたく思いました。ばかですわね。はじめから、それが承知であの人のところへまいりましたのに、いま急に、あの人が、最初でないこと、たまらぬ程にくやしく、うらめしく、とりかえしつかない感じで、あの人の、まえの女のひとのことも、急に色濃く、胸にせまって来て、ほんとうにはじめて、私はその女のひとを恐ろしく、憎く思い、これまで一度だって、そのひとのこと思ってもみたことない私の呑気さ加減が、涙の沸いて出た程に残念でございました。

⇒急な感情の高ぶりがすごい。脈絡のない感情が女性ならでは。(太宰治は)男性なのに、なぜわかるの?
太宰作品に受ける驚きをまっすぐに表明。もちろんみなさん共感。




▼Cさんのセレクト

いま、ロドルフが、更にそっとエンマに身をすり寄せ、甘い言葉を口早に囁いているところなのですが、私は、読みながら、全然別な奇妙なことを考えて、思わずにやりと笑ってしまいました。エンマが、このとき吹出物していたら、どうだったろう、とへんな空想が湧いて出て、いや、これは重大なイデエだぞ、と私は真面目になりました。

⇒感情がたかぶって、これ以上の興奮状態になったら発狂しそうでやばい雰囲気が伝わってくる。ときどきまったく関係のないところに自分を投影して、必死に客観性を取り戻そうとしている感じが、気がふれるというのはこういう感じから始まるんだなと。
うおーーー。この読みっぷり。いいですねぇ。漱石読書会にもお招きしたいほど。だがその前につら〜い腕立てをしてもらわねばならぬ。無念!(笑)




▼うちこのセレクト

結婚のまえの夜、または、なつかしくてならぬ人と五年ぶりに逢う直前などに、思わぬ醜怪の吹出物に見舞われたら、私ならば死ぬる。家出して、堕落してやる。自殺する。

⇒短い言葉で過激な決意を刻んでる。まるでラップのような語感の思考ってあるなぁと思って。ネガティブな思考って、短く刻んでいるように思う。
いやー、ここヤバイよねと。単純に共感。(この、単純に共感、がいいのよね。単純に)





インド哲学編のような凝った分解はしなかったのですが、「演習」はとても楽しかったといわれました。

 <演習>
 この物語は、女性が皮膚の問題をきっかけに
 妄想にアクセルを踏む作品ですが、
 もし男性であった場合、「皮膚」に相当するものとして
 何を想起しますか?

 ↓

けっこうでた。だんだん焦点が合ってくる。「靴」が実にいい。
大切な靴が汚れていたというきっかけで同じくらいネガティブな小説を書くことができそう。時計だとモチーフの存在が立ちすぎてちょっと離れる気がする。大切な毛が減った、ではじわじわすぎて、スピード感がない。ほかのステイタスものは、転調のフックには弱すぎるし、それはもう少し違う色合いの執着。
「皮膚と心」は、不安をきっかけに発生した怒りのアクセルをベタ踏みし、猛烈なスピードで突っ走る迷妄を描いてる。



意外にもといったらアレですが、インド哲学ヌキでもけっこう楽しかった。
ちなみにこの日の演習の裏テーマはバガヴァッド・ギーターでいうと2章の62節&63節や、5章の23節のあの感じです。
勉強熱心なみなさまは「皮膚と心」を読んだ後に、ギーターのこの節を読み直してみてください。
……って、太宰治でもいけちゃうのねインド哲学(笑)。


▼おもしろいよ〜


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皮膚と心
皮膚と心
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(2012-09-27)