仕事をしていると「これってヨガと一緒だなぁ」と思うことが多々あるのだけど、今日はそんなことについて書いてみようと思います。
「あきらめられない人々」というのがいて、仕事で目にする場面で言うと
腰があがらない
⇒行動できない
⇒事実が生産されない
⇒実積がうまれない
⇒「できないやつ」ということになる
「あきらめない」のに「できない」になってしまう。
「できない」の事実予測のストーリーは
1.「やってもできないだろう」というスペック否定
2.「いまは腰が上がらないだろう」という状態否定
に二分されるのだけど、ひとことで「無理」とか「できない」という言葉に集約されてしまったりする。ここは、集約しちゃいけない。ぜんぜん別物です。
ヨガで、開脚前屈中にどうしても頭を床につけたがったり、牛の顔のポーズ中に背中で手をつなぎたがったりしている人から「これがなかなかできないんです」と言われると、「今日のところのあきらめも肝心」と言ったりします。きのう今日ではどうにもならないので。今日いまそのとき、グイグイやってもしょうがない。
「1年目、2年目、3年目……て、こうして深くゆっくりやっていけばいい」と段階を見せたりする。
仕事の場面では、この「適当なところであきらめて、いまできるとこで見計らって積み重ねていく」ということが説明しずらい。「完成型」を見せられないから。
時間や状況が掛け算の係数になるのはヨガもビジネスも一緒なのだけど、「できる人」の種類は以下に二分されるように思います。
1. ほかの事例を見せることで置き換えられるひと
2. 置き換えなくても「やるしかない事実がみえる」ひと
「1」は、「○○にヒントを得て」とか「○○を下敷きに」とか「○○がきっかけで」とかいうのがわかりやすいから、仕事の場面で使いやすい。○○と○○をマッシュアップしちゃったりしてね。
でも、「2」には鉄壁の強さがあります。
この強さの背景には「頭のしなやかさ」が必要です。
じゃないと、長続きしないから。
ヨガをしていてよかったなぁと思うのは、こんなことを思うときです。