うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

ヨガから始まる ― 心と体をひとつにする方法 ケン・ハラクマ 著

先日紹介した「メンズ・ヨガ 男も始めるぜ編」と同時に読みました。
読み始めたらサーフィンの話が出てきたので、最近ヨガを始めた同僚のサーファーに貸してみたら、「ヨガを始めると〜」の後に書いてあることがいちいち今の自分にあてはまってドキリとしたそうです。実際、ヨガを始めると陥りがちなトラップへの警告が書いてある。


わたしも実際読んでいて、今の気持ちで「よい文章で語られているなぁ」と思うこともあれば、「たしかにそういうトラップがあるなぁ」と思い出したり。初心にもかえれるし、続けていて「やっぱりヨガって、実践修行だなぁ」とも思う。文体と小タイトルの選び方から、著者のヨガに対する真摯な気持ちが伝わってきます。

何箇所か、ご紹介します。

<45ページ ヨガによるカルマのクレンジング より>
 うまくいかないことがあると、往々にして人は一気に環境を変えようとしがちです。仕事のことや家庭のこと、人間関係など。「とにかく早くいまの仕事を辞めて新しい道を探します」などと言いますが、そういう人たちには「いまやっていることを大切にしながら探せばいいじゃない」とアドバイスしています。確かに、いまやっていることが嫌でしょうがない、ということもあるでしょう。しかし、何かを否定して幕を閉じた状態で次に何かをしても、やはりカルマは続いているわけです。すると、また何か障害が起きたとき、同じような結末を迎える可能性が高い。ですから、変化することはよいのですが、変化の過程で、過去の自分の行為を封印したり過小評価しないことです。嫌な気持ちや、つらい気持ちを残したまま次に進まないよう、新しいことを始める前に一度気持ちを整理すること、これをカルマのクレンジング(浄化)と呼んでいます。

「嫌な気持ちや、つらい気持ちを残したまま次に進まないよう、新しいことを始める前に一度気持ちを整理すること」ということの大切さ。やっと少しその「残る」濁りが感じられるようになったかもしれないなぁ。心と呼吸がギザギザする。


<91ページ エネルギーを上下させるバランス より>
エネルギーが天に向かって上がり過ぎると、精神的な面が際立って強調されるようになります。極端な例ですが、神様を見たような感覚になったり、人とのコミュニケーションが取れなくなったり、批判的になったりして、社会性に欠けた状態になる。つまり「あぶない」状態。精神のスピリチュアルな部分が浮き上がり過ぎてしまうのです。こうなると、現実の社会生活を営むうえでは、居心地が悪く、不快な感覚が増してくるので、生きることがつらくなってしまう。

たまに「それってヨガが逆効果では?」と思うような、社会生活とのバランスを崩す人を見るのだけど、これもなにか、結果に執着したことによるものなんだろうな。実践結果から得たものから純粋な部分を「掛け算の変数」に代用することで、日常に生きてくる。そうすると、ヨガのよさがわかると思う。でもその手前に罠があるんですよね。


<102ページ 胸式呼吸と腹式呼吸の使い分け より>
以上をまとめると、朝(午前中)には胸式、夜(午後)には腹式で呼吸のトレーニングをするのが適しています。夕方になると、それまでに、朝食、昼食、夕食と、食べ物を体の中にだいぶ取り込んでしまっています。お腹に食べ物が入っている状態でお腹をへこませる動きは、喩えは悪いですが、生ゴミを踏んづけている状態と同じで、消化もよくありません。また、寝る前に頭にエネルギーが上がりすぎると、興奮して眠れなかったりします。よって、寝る前の胸式呼吸はおすすめできません。

生ゴミを踏んづけている」って、本当にそんな感じ。


<103ページ エネルギーの使い道 より>
 ヨガをやり始めると考え方が偏ってしまう人が多く見受けられます。ヨガをやり始めて少し浮き足立ってくると、「いままでがまんしていたけれど、もう無理!」といって、仕事を辞めてしまう人が多いのも事実。ヨガによってエネルギーに火を点ける方法を身につけても、その次にどう行動するかはまた別の問題なのです。

もともと自分の中にあった力に「気づいた」だけなのに、「新しい力を得た」かのように感じてしまうんですね。


<111ページ ヨガは柔軟性・力・バランス感覚を養う より>
 現代は電子機具の発達のおかげで、同時にたくさんのことができるようになりました。音楽を聴きながら、外国の友人にメールを書き、恋人からの電話を取り、今日の夕飯のことを考える……。たくさんのことを同時にするのが悪いのではなく、行動の内容が何の関連性もなく、意識が分散するのが問題なのです。エネルギーも拡散してしまいます。そこで、ヨガのポージングでは、外部から体の内側へ入ってくる情報を極力排除して、自分の体内に意識を向ける練習を積み重ねます。そうすると、いざ同時に色々なことをする際に、その仕方と質が全く変わってきます。集中力も長く持続するのです。

わたしもヨガを始めてから「音楽を聴きながら何かをする」ということが格段に減りました。


<119ページ 体がやわらかくなると、心もやわらかくなる より>
「体をやわらかくする」と言葉で言うことは簡単ですが、そもそも体が固い人にとってはなかなか難しい実践です。ときには苦痛も生じるでしょう。しかし、実は体が固い人の方がヨガに向いています。体が固い人の方が、体がやわらかい人よりも、体を曲げたりねじったりする距離や分量が多いので、その分、体の変化を味わったり楽しむ量が多くなるからです。体を曲げられる範囲が日々更新されていく達成の喜びも、ひとしおです。

この場で何度か同じ趣旨のことを書いてきましたが、本当に固い人のほうが、お徳だと思う。「内観」に向かいやすいから。


<135ページ ポーズを深めていく より>
客観的に見れば同じひとつのポーズが、自分の主観の中では毎回異なる。「今日はすごかった」「一気に目の前が開けた」という感覚は滅多にありません。毎瞬間が自分との対話であり、毎日がチャレンジなのです。

わたしも「ひらけた」感覚は一度もありません。


<141ページ 一歩一歩がベストな状態 より>
 ヨガの練習中、私もパタビジョイス先生に「どうしてこんなに痛みが出てくるのですか」といった質問を投げかけました。けれど、先生からは「やっていればわかる」という答えしかもらえません。決して多くを語らず、結論だけポンと差し出すような具合なのです。こちらの希望に沿って、ストレートに答えるようなことは全くない。彼のスローガンは「プラクティス、プラクティス、プラクティス」つまり実践あるのみ、なのです。そして「ワンデイ・カミング」。この言葉はとても印象的で、よく覚えています。練習を黙々と続けていれば、いつかわかる日がやってくる。けれど、「その日」がいつで、そのときにどんなことがわかるのか、いまは決してわからないのです。

ブッダさんも道元さんも、同じね。


<168ページ フルーツしか食べない時期もあった より>
 ヨガの古い教典には「刺激物を食べるのはやめましょう」と書いてあります。極端に強い香辛料やニンニク、唐辛子などの刺激物は、自分のマインドを必要以上にピリピリさせてしまいます。ゴボウや芋のような根菜類は、体を「グラウンドさせる」、つまり地球に根付かせます。逆に、フルーツや木の実は、ほかの食べ物よりも地面から少し離れたところになっているので、体を軽くするといわれます。

わたしは子供の頃から根菜が好きで、今でもバランス的には人より多めに食べていると思います。特に、レンコンと大根。冬は特に多くなる。なので、今はフルーツで少しバランスするようにしています。もうすこし軽さを出していかなくちゃ。


すごくいい本。
群を抜いた良書と思います。