うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

呪術の実践 古代メキシコ・シャーマンの知恵 カルロス・カスタネダ 著

ご近所友達のユキちゃんちの本棚から借りてきました。最近までシャーマンとシーマンの区別がつかなかったくらいで、「人面魚が、なんかチャネリングする感じ?」という勝手なごちゃまぜイメージをもっていました。
古代メキシコの教えについては、あまり自分から情報を取りに行くことがなかったのですが、「レイム・ディアー ― ヴィジョンを求める者」「リトル・トリー」をすすめられて読んでいたので、いきなりカスタネダさんを読むよりも、歴史的な背景が少しイメージできていたのがよかったです。
ちょっと先に感じた結論を書きますが、身体の動かし方が違うだけで、心と身体への向き合い方やその教えは、この本に出てくる「マジカルパス」を「アーサナ」や「プラーナヤーマ」に置き換えてもそのまま気づかず読めてしまうのではないかと思うくらい、ヨガの教えに近いものを感じます。

わかりやすいように、先にあとがきから紹介します。

<269ページ 訳者あとがき より>
 さて、そのマジカルパスであるが、カスタネダの師、ドン・ファンの語るところによれば、その目的は「エネルギー移動」すなわちエネルギーを体の活力の中心へ戻してやることにある。人間の体にはとくに大きな活力の中心が六つあって、そこではエネルギーが渦を巻いているが、性質としてエネルギーはそこからずれてしまう傾向がある。そのずれたエネルギーをもう一度活力の中心へ戻してやると、幸福感や充実感が得られると同時に、使われていない生命力との絆をとりもどし、知覚レベルにおいて世界をこれまでと違ったしかたで感知できるようになるのだという。つまり、マジカルパスはわれわれの日常とは異なる世界を知覚して、そこへ入っていくための手段なのだ。

「マジカルパスは」を「プラーナヤーマ、アーサナ、瞑想の三つを行じることは」に置き換えたら、そのまんまインドの教え。



<12ページ まえがき より>
 一度、私はドン・ファンに向かって。なぜ呪術師は人間の肉体面をそれほど重要視するのか尋ねてみたことがある。それにたいするドン・ファンの答えは、じつに驚くべきものだった。私はそれまでずっとドン・ファンのことを精神的な人間だと思っていた。
「呪術師が精神的な人間であるものか」と彼はいった。「呪術師というのはきわめて実際的な人間だよ。だが、呪術師は奇矯であるとか狂気じみていると一般に見なされているというのも、またよく知られている事実だ。おまえが呪術師を精神的な人間と思うのは、おそらくそのせいではないかな。彼らが狂気じみて見えるのは、解明不可能なことをたえず解明しようとしているからなんだ。絶対に不可能であるにもかかわらず、完全に解明しようという無益な試みを重ねるうちに、彼らは支離滅裂になってしまい、愚かしい言葉をはくようになってしまったのさ。
 すぐれた肉体能力と思慮分別とがほしいのなら、柔軟な体をもたなければならん」ドン・ファンはつづけた。「すぐれた肉体能力と思慮分別とは、呪術師の生活にあってもっとも重要な要素のふたつだ。なぜなら、それらは平常心と実利的な考え方をもたらしてくれるからな。それらはまた、知覚の別の領域へ入るための、必要不可欠の条件でもある。文字どおり未知の世界を歩むには、無謀さではなく大胆さが必要なのだ。この大胆さと無謀さのあいだでバランスを保つためには、呪術師はとことん冷静かつ慎重、そして最高の肉体的コンディションになければならん」

「柔軟な体が平常心と実利的な考え方をもたらしてくれる」って、身近なインド人もしょっちゅう言ってる。



<28ページ 第一章 マジカルパス より>
 「マジカルパスを実践する者が、その特定の側面に注意を集中させることはたしかに重要ではあるが」とドン・ファンは言葉をつづけた。「それはあくまでも気楽で楽しいものでなければならず、病的な執着であったり陰気なものであったりしてはならない。それ自身のために行うのであって、見返りを期待してはならないんだよ」

師匠みたいなことをいいますなぁ。



<33ページ 第一章 マジカルパス より>
なるほどドン・ファンは老齢ではあるが、ちっとも老いぼれてはいない。私よりはるかに若いとさえいえる。わずらわしい考えや習慣にとらわれることなく、信じがたい世界のなかを自由に歩きまわっている。彼は自由な人間なのだ。対する私は、愚鈍な思考パターンや習慣、自分自身へのけちで不毛な配慮の虜になっている。このときはじめて私は、それらが自分のものでさえないのを感じたのだった。

「自分自身へのけちで不毛な配慮の虜」というのは、「ダークサイド」の解説としてすごくわかりやすい表現だと思いました。



<55ページ 第三章 テンセグリティーの六つのシリーズ より>
 現代人が抱えている健康上の多くの問題は、深呼吸によって簡単に解消できる、というのがドン・ファンの考えだった。彼は、今日の人間は浅い呼吸をする傾向にあるといった。古代メキシコの呪術師たちの目標のひとつは、マジカルパスによって、深く息を吸ったり吐いたりできるように肉体を訓練することだったという。

はい、ここヨガですよー。ここね。



<139ページ 第二のグループ ── 反復 より>
 呪術師たちは、反復の謎は息を吸ったり吐いたりする行為のなかにあると信じている。呼吸は生命を維持する機能であるから、それによって人は意識の暗い海に自分の人生経験のコピーを送り届けることができる、そう彼らは確信している。その考えについて道理にかなった説明をしてくれ、と私がドン・ファンにせがむと、彼は、反復のような事柄は経験はできても説明はできないものだと突っぱねた。そして、人は行為のさなかに解放を得られるが、それを説明しようとすれば自分のエネルギーを無益にも消散させてしまうことになる、といった。彼の行動せよとの言葉は、彼の知に関するすべての事柄と一致していた。

「反復のような事柄は経験はできても説明はできないものだ」そうだそうだ! 「いいからやれ」と。



<146ページ 反復のためのマジカルパス より>
20 柔軟にすることによって、太ももの裏側にたまった履歴をかきたてる
 太ももの裏側の筋肉には、その人間の歴史が蓄えられている。(中略)呪術師たちは大腿部の裏側の筋肉を引き締めることをひじょうに重要視する。そこの筋肉を引き締めれば引き締めるほど、無益な行動パターンを識別して排除するのが容易になると信じているのだ。

ここ、ちょっと面白かったです。太ももの裏側に人間の歴史! 膝を直角に曲げる三角のポーズで、最近どうも「歴史」を意識してしまいます(笑)。



<235ページ 男らしさのシリーズ より>
このグループのマジカルパスは、最初の何世代かのあいだ、男の呪術師だけが実践していた。男の呪術師優遇のこの男女差別は、必要に迫られてというよりは、むしろ儀式のためと、男の優越性を誇示しようという元来の衝動を満足させるためのものだった。しかしながらそうした衝動は、高められた知覚の影響を受けて、まもなく息の根を止められることになった。

ヨガ古来のお教えが恐ろしく男尊女卑であるのに対し、「男の優越性を誇示しようという元来の衝動を満足させるため」という割り切りはすごい。これはすごい。



<241ページ 男らしさのシリーズ 第一のグループ より>
呪術師にとってこのマジカルパスは、腕の腱エネルギーを訓練する最上の手段のひとつである。なぜなら、手首や手の甲、手のひら、指の付近に、数多くのエネルギー点が存在するからだ。

身体の動かし方で、ヨガにはまったくない発想で、「マジカルパス」の最大の特徴であるなと思ったのが、これ。


手の腱を重要視しているところ。

この本全般、身体の動かし方は読んだだけでは覚えられないほどの量。読みながら多くの共通点を感じました。
それよりも何よりも、この著者さんのお師匠さんである「ドン・ファン」さんが、そのまんまスワミ。非常に興味深く、楽しく読みました。

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4 呪術の実践―古代メキシコ・シャーマンの知恵
5 呪術の実践部分
4 テンセグリティの解説書
5 この本のシリーズ異色作