これまでいくつかのバージョンで読んできた「歎異抄」ですが、これは「初めて歎異抄を読んでみたいのだけど、入りやすいのがいい」という人におすすめ。とても「なりきり唯円」度が高く、なんとも五木寛之さんらしい甘くやわらかい語り口での訳文が、いつものようにハートをわしずかんでしまうことでしょう。
そして、親鸞のクリシュナっぷり(オレオレという意味ではなく、教義の共通性です)が理解しやすい一冊でもあります。歎異抄は、わたしのなかでは日本国産のバガヴァッド・ギーター。悪人正機の3章もそうですが、特に13章の「そなたはわたしが人を千人殺してみよと言ったらどうする?」のあたりの展開の訳がとても心に入りやすい文章で、「ここ、ここギーターです!」と解説を入れたくなる(笑)。ギーターは読んだことがあるけれど歎異抄はまだ、という人にぜひ読んでみて欲しいです。(読んで!)
そしてこの本は、五味文彦氏による解説がまた、少ない文字数ながらすばらしい。
親鸞が幼い頃の時代背景を、鴨長明の「方丈記」にある養和の飢饉の記述解説からの流れで書かれています。とても説明の上手な日本史の先生の授業を受けているような気分で読みました。
<126ページ>
余りの死人の多さに、仁和寺の隆暁法印は亡くなった人の額に阿の字を書いて縁を結ばせたところが、その数は四万二千三百余りになったという。阿の字とは梵字の主要母音で、宇宙の中心である大日如来を意味していた。
やがて飢饉はおさまったが、治承・寿永の内乱の末に、平氏が元暦二(1185)年に西海に滅んだ直後に京を襲ったのが、直下型の大地震である。親鸞はこのようなうち続く悲惨な状況を幼い目で見つつ育ったのである。
親鸞のなかで超・大乗思想が鉄板化する背景には、イスラームのムハンマド(マホメット)の生い立ちがのちの思想の指針に影響したのと同じように、「かなりの人数いる、このような境遇の人たちへの救いとは何か」と考え抜く軸になる対象がある。
有名な「女犯の夢」の、夢についての当時の考え方の説明もありました。
<130ページより>
当時の夢は、非現実のことではなく、現実の先を示すものとして信じられており、明恵をはじめとする宗教者にとっては信心を確かめる手段となっていた。
ここはつい「女犯」のほうを説明したくなってしまうところであろうに。素敵な先生です。
このほか、法然と親鸞へ向けられた批判エピソードもありました。浄土宗の布教の方法が、貞慶の釈迦信仰と興福寺法相宗の核心をなす唯識思想に基づいていたとあります。
このへんのことに詳しくないわたしは、「でた! 南都北嶺からのクレーム」という感じで見てしまっていたのですが、この批判は「釈迦の教えと唯識の思想からこれ抜いたらいかんじゃろー」という主旨のものだったようです。
元久二年十月に提出された「九箇条の奏状」のリストが挙げられていました。
なんというか、かなり苦しい。インドじゃ通用しないであろう投球計画。三と八は同じ? とか、儀式と目的の思想の整理がされていたらこういう構成にはならないのでは? と思う。
でもこれ、なんか日本人が作りがちな企画書の不明瞭さと似ているというか、山本七平氏のいうところの「納得治国家」の日本教っぽい(参考)。冒頭に「新宗を立つる」を持ってきたら出オチじゃん! という印象を持ってしまいました。
インド思想の学派論争に比べると、「引きずり下ろすこと」だけが目的になってしまいるように見えてしんどい。のちにすべてを呑み込むヴェーダーンタのような存在で禅がぐわーっと浮き出てこなかったら、日本の仏教史はかなりイタイ感じなのです。
この本では、こののちに貞慶も法然や親鸞と同じような軌跡をたどっていった、という解説が展開されていました。
本編からは引用しませんでしたが、全般的に情感たっぷりで、こういう現代語訳もステキ〜と思いました。このまろやかさは、五木寛之さんならでは。文章もダンディなのよねぇ、まったく。
★おまけ:五木寛之さんについては過去に読んだ本の「本棚リンク集」を作っておきました。いまのあなたにグッとくる一冊を見つけてください。