うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

チャイルドラインで学んだ 子どもの気持ちを聴くスキル  山口祐二 著

子どもがかけてくる電話「チャイルドライン」の存在を初めて知りました。
この本を読みながら、途中で何度か映画『誰も知らない』『万引き家族』のような、なんとか踏ん張っている子どもの姿を想起しました。

 

これは大人同士のやりとりでも同じだと思うことが、いくつもありました。なにかを打ち明けて「大変だったね」と言われると、一応ひとこと言ってもらったからもうこれ以上は言わないでおこうと遠慮するとか。
よくよく考えてみれば、子ども=わがままで遠慮がない、という状況であればチャイルドラインに電話はかけてこないわけで。

 


この本にあった、「子どもの話している対象となる親や大人、先生や学校などを批判したり批難したりしないこと」という注意は、わたし自身が悩みを同じ環境にいる友人にしか話せない理由と同じでした。
いま自分が置かれている境遇が過酷だという判断は、自分のタイミングでしないとしんどい。いまは風向きの変化を待つほうが体力を温存できるという状況もあるし、時間を何年もおいたり環境を変えてからでないと気づけないこともあります。

 


人にしんどい状況を話すって、二重で苦しいですよね。
わたしの場合は書くことでセルフ・カウンセリングのような状態を作っているけれど、話すのは苦手です。同じことを口語で話そうとすると、ものすごく事前のエクスキューズが長くなるか、極端に強い言葉やうまい比喩を生み出して大切なディテールを煙に巻こうとしてしまいます。
文章にすると、そのエクスキューズも含めて回りくどい長文を書いて最後に削る作業をするときの葛藤で、自分の気持ちを知ることができます。「ここを削ると自分が不利になる」「それは、何に・誰に対して? どういう基準で?」という自分内会議が、自分の悩みを探るプロセスになります。

 


話を聴く側となると、どうかな。
ちゃんとできているかわかりません。
聴くことができていないと感じる瞬間は、小さくたくさんあります。その中でも大きなことのひとつが、まさにこの本に書かれていました。

例えば、自分がいま何かにずっとがんばっていると、聴いていてもついつい「がんばってね」と、まるで自分に向かって言いたいことを子どもに言いたくなったり、”それくらいしんぼうしたらいいのに” という気持ちが浮かんできて、子どもの気持ちに寄り添うスタンスから離れてしまったりします。”今日家に帰ったら、確定申告のために領収書の整理をしなくちゃ” なんて考えていたら、「今日は遅いから、早く寝たほうがいいよ」と言いたくなってしまうかもしれません。
(2 つながるためのスキル/自分の状態を知っておく より)

そうそう、これ。

 

 

そして、自分がしんどい状況を話せない理由にも、これだと思うことがありました。

「悲しいとか悔しいとかいうよりも、相手のことが可哀想になりましたね」とひと捻りした大人めな収め方をしている場合もあります。きっとどこか感情的なものを抜きにしたり薄めないと語れなかったり、そうしないと日常生活を送っていけないのだろうなと思います。
(2 つながるためのスキル/表にでないもの より)

「可哀想になる」って、自発的に起こる気持ちじゃないですよね。
わたしのなかで、「可哀想」はどこか対処法として引き起こされるような、二次的な定義づけのための感情です。「残念な人」という言いかたにも同じことを感じます。
嫌な状況って言語化に勇気がいります。「ムカつく」と言わずに「違和感を感じる」と言う人が多いのも、勇気を要するからですよね。

 

 

わたしが友人の話を聞くときに、ものすごく思うことも書かれていました。
信頼している人が少し変わった選択をした際に、その考えに至った理由を聞かせてもらうと、なるほどと思うことがあって。

自分のライフヒストリーを丁寧に話していく中で、ときには “そんな理不尽なことに巻き込まれたら誰だってそういう行動をすることもあるよね” と確認できることもあります。様々な人の関わりが自分の周りにあることがわかってくると “自分だけに問題があって責任がある” という呪縛から少しでも解放されるのではないかと思います。
(4 話すこと聴くことの意味を考える/家族の重し より)

相手がラクになるかどうかはさておき、組織や家庭内でのことって、ほんとうにブラックボックスですから。

 


さて。
この本は、ヨガを長くされているかたから「たまたま見つけたヒット本」として教えてもらいました。
電話相談の世界で、子どもたちが自分自信を子ども(従属者)であることを強く意識する瞬間(=相談相手の大人が、大人として振舞ってしまっている)というパワーバランスは、ヨガの練習をしながらふと感じるものとよく似ています。
自分が踏み越えすぎている瞬間にハッとして、その背景に自分の問題(恐怖心や不安)を見つける、そういう瞬間。これを日常に応用するために練習しているんだよなと思うことが、年々増えています。


いい本だな、と思ったらミネルヴァ書房でした。