先日、ヨガクラスの前の雑談で情報化社会とSNSの話になりました。
情報化どころか、必要のない情報だらけになってから何年も経ちますね、と。
それでもわたしは職業柄、新しいウェブサービスはアカウントを使って試します。
必要がなくてもどういう仕組みか知っておくと、広告や詐欺の手口など、あとで流れを理解しようとするときにラクなのです。
以前は新しいものを遮断していた時期もあったのですが、あとで追いかけるほうが面倒で、今はサクッと触ることにしています。
このブログも、元々はブログメディアと検索エンジンの関係を理解するために2006年に使いはじめたものでした。その頃はまだmixiの時代でした。
ブログを楽しみながら続けているのは、性に合うからでしょう。この "性に合う感じ" は、ヨガがずっと楽しみで続いているのと似ています。
── それはさておき。
冒頭の話をした日に、こんなことを訊かれました。
わたしは新しいものを遮断するようになっちゃってるんですけど
これってマズいよなと思ったりもして・・・
うちこさんはTikTokとかThreasとか、やってますか?
「はい、どちらもアカウントがあります」とお答えして、このように話しました。
TickTokは見るだけですがアカウントがあります。
Threadsは、いまはコンスタントにアップしています。
映画の感想をそこにアップしています。
400字という字数制限が良くて。原稿用紙1枚分です。
削らなくてはいけない文字数が出るので便利です。
Threadsはtwitterのリプがやさしい世界を理想としてるのか、個人アカウントに紐づく掲示板のような作りになっています。大喜利や会話の形で他人とキャッキャしやすく、アンケートっぽい投稿や問いかけをして交流したい人に便利なツールに見えます。
ですが普及していかない様子を見ると、 "SNSは文章を書くことが面倒な人が使うもの" という時代に完全に変わっていることがわかります。Instagramの利用者しか使いはじめられない、という設定が裏目に出ている気もします。
・・・おっと大きく脱線。話を戻しますね。
* * *
わたしは、新しいもの・ツールを遮断したくなるマインドは、意識を配るキャパシティの調整の段階としてよくあることで、ぜんぜんマズくないと思います。
だから断捨離が流行るわけで。
SNSを積極的に使う人や人気の場所を揶揄するマインドには ”いじけ” が含まれることがあり、それはそれで自己を知る機会になります。
わたしはその日は、その質問をしてくれた人の「これってマズいよなと思ったりもして・・・」というフレーズの中にこんなニュアンスを感じ取りました。
まだこれからこの社会で働いて生きていく上で、
加齢スピードと社会への順応のバランスを考えたら
遮断モードに入るのは早すぎるのではないか
わたしはこう読み取り、新しい道具との接点を保つ個人的な活用例・アイデアを話しました。
ウェブメディアのプラットフォームやSNSの使い方には、以下の2つの面があります。
- 面を増やす使い方:同じ情報をいろんなSNSにアップする
- 質を分ける使い方:そのプラットフォームごとに発信材料を変えていく
わたしは後者。お店のイベント日程の宣伝をしたい人は、前者。
いずれにしても、発信するしないの境界には「見て見てー」「聞いて聞いてー」という気持ちの自己認識があります。
わたしの場合は
他者と接点を持ちたい気持ち
これについて、「とっとと認めちまえ派」です。
そもそもSNSというツール自体が、この気持ちをガソリンにして拡がっていく性質に下支えされています。その上で、よい接点や出会いがあればおもしろいねという気持ちで楽しんでいます。
いずれにしても、遮断したくなるマインドを自覚して自己分析を試みるスタンスは、ヨギーらしくていいよね。それを自覚していないと、話が弾まないのでね。