うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

変身 フランツ・カフカ著 原田義人(訳)

学生時代に読んだ気がしていたのに読んでいなかったのか、忘れてしまったのか。
序盤から三分の一くらいまでは記憶があって、そのあとは「こんな話だったっけ?」と新鮮な気持ちで読みました。自分の記憶がまったくあてにならない。読んでいたはずの名作と言われるものほど、そうなることがある。なにか気負って読んでいたのだろうか。


そして今こうして読んでみて、いろいろなつらい記憶が連想されたりして、でも人間ってこんなもんだと思う面もあって。いや待て。よくよく考えると主人公は虫になっているのだぞ。でも、ちっとも "トンデモな話" と感じない。
ちょっとした表現におもしろさもあって、「あの男は店主の手先で、背骨もなければ分別もない」という表現には、あなたいま、虫よー! 背骨のない虫よー! というツッコミのマインドが燃え、まだ妹のことを「結局は子供らしい軽率さからこんなにむずかしい任務を引き受けているのだ」と兄(虫)が客観視していたりして、しんどい話なのに、窒息しないギリギリのところで読まされる。


「あの老いこんだ父親とこの目の前の人物とは同じ人間なのだろうか。」のあたりからはもう本当につらくて、主人公がセルフ・ネグレクトに向かっていくあたりは、家族から見捨てられていく感じって、こういう感じだよな……うんうん、と妙にリアルに感じる。
他人の雑さや不手際を指摘しようという気持ちがあるうちは、まだ元気。そうでなくなるときの境界を超えていく過程の描き方が、リアルすぎる。

 

読み終えた直後は「きついわ!」と思ったけれど、ものすごく人間的。家族だからといって理解されることを期待するのがそもそも間違っているということを認めるのって、こんなにしんどいものかと思う。主人公に落ち度がないだけに、とてもつらい。

人が自分の殻にひきこもってしまう時の「殻」をこうして外側から物理的に設定されたバージョンで見せられるというのは、一回転するジェット・コースターに初めて乗った時のようなインパクト。

一度読んだことがあるはずだったのに、あまり覚えていなかったのはなぜか。当時の自分には慈悲の心が著しく欠けていたのだろう。そんなことを思った。