うちこのヨガ日記

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友達の数は何人? ― ダンバー数とつながりの進化心理学 ロビン・ダンバー著 / 藤井留美(翻訳)

わたしは覚えておきたくても覚えておけない人間関係について「これなんとかならないかな…」と思ったり考えたりすることがたまにあります。SNSも記憶ツールとしてはそんなにあてになりません。わたしはFacebookの友だちリストにいるのが74人で、そのうち半分は声が思い出せません。旅先で出会った人で、いまはほとんど話していないから。海外や地方に住んでいる日本人の友人数名とチャットで話したりメッセンジャーで連絡をとる以外はなんとなくの利用です。Instagramは名前が出てこないので気楽にやっています。義理立てしなくてもいい感じがするからかな。


30代の頃は仕事でたくさんの人と会ったので、いまの10倍以上の人と関わっていたのではないかな。いまは友人が共通の知人について話すと声が思い出せないまま半分くらい話が進んで、帰りの電車で顔や声を思い出したりするなんてこともあります。人間関係というのは深く考えずに水のように流していくものなのだろうけど、ジャーッと流す感じはときどき悲しい。


キャパオーバーをしてからおもしろいことも起きています。勝手に頭が関係や事象を抽象化するようになり「こういう人間関係の性質」というふうに記憶のフォルダを作っている。そして信頼のフォルダに入れたあとは中の個人に対する感情の記憶を捨てていく。人間関係というものに執着しないための知恵なのか。こういうことが前々から気になっていて、ソーシャル・メディア関連の記事で目にしたダンバー数についての本を読みました。(前置きが長い)


この本は連載をまとめた感じなので、雑学トピック本のように気軽に読めます。いまの社会じゃ半分以上が炎上案件になるような語調で書かれているけれど、いくつかのトピックはすごくおもしろかった。
結婚と女性の年齢に関する話題ではジェイン・オースティンの「高慢と偏見」が例に出されていて、なるほどこういう人類学的に見た求愛や婚姻のシステムで引用したくなるほど男性から見ても真をついている物語なのかと思いながら読みました。本職の科学者の間で展開されていく「不幸の手紙」についての分解エピソードも興味深く、ほんと人間て矛盾だらけだわとニヤニヤしながら読めます。
14世紀末のポルトガルで貴族たちが直面した、土地不足の問題を解消するために分割相続をやめて長子相続にしたら数世代で次男以降の男子が社会を脅かすようになり、海外雄飛をうながしたという話も印象に残りました。第18章にあった「なぜ宗教が人を幸福・健康にするのか」という問いについて、儀式を通じてエンドルフィンの分泌を促しているからという話もうなずきながら読みました。


著者は認知・進化人類学の専門家なのでベースは動物と人間の違いについて見ることで掘り下げられていくのだけど、それまでフンフンという感じで読んでいたわたしも、ヒトがぎっくり腰という爆弾を抱えるに至る説明の箇所で思わず腰が入りました。

 進化につきものの悩み、それは完璧な構造を設計するのは不可能だということだ。ヒトの場合、長距離歩行と引きかえに犠牲になったのが腰である。もちろん進化の過程で、背骨の下半分をきわめて強固なものにするとか、ものすごく太く大きい骨にするとかいった工夫もないわけではなかった。でもそうなると体重が重すぎて自力歩行はできないし、身体の柔軟性も失われただろう。背骨の柔軟性がなければ、私たちはいまのように歩いたり走ったりできない。クリケット投手は自慢の速球を投げられないし、ご先祖さまも槍で獲物をしとめられなかった。異なる二つの世界をいいとこどりした結果、ヒトはぎっくり腰という爆弾を抱えることになったのだ。
(第10章 進化の傷跡 より)

バンダで重量をグリップしながら分散できるよう、ますます練習しよう。とモチベーションが上がった。(前向き!)

 

 

一次志向意識水準、二次志向意識水準という推察能力の話も、いまひとつ敏感力⇔鈍感力が扱えないわたしに逆引きで考える知恵を与えてくれました。

相手の心の中身を推察する能力は志向意識水準(intentionality)と呼ばれている。「~だと思う」「~と考える」といった言いまわしができるのは、自分の心の内を了解しているからであり、それはいわば一次志向意識水準だ。哺乳類および鳥類のほとんどは、一次志向意識水準を持つと言ってもいいだろう。
 さらに興味ぶかいのは、「きみは……と思っているんじゃないか」、すなわち他者の心の内に意識を向ける能力だ。これはレベルが上がって二次志向意識水準になる。心の理論ができあがったばかりの五歳児はこの段階だ。こうやって志向意識水準のレベルはどんどん上がっていき、正常なおとなならだいたい五次志向意識水準まで到達するが、ほとんどの人はそこどまりだ。「私が思うに(1)、きみはこう考えているんだろう?(2)、つまり私が望んでいるのは(3)、私が……するつもりだと(4)、きみに信じてもらう(5)、ことなんだと」
(第15章 人間ならではの心って? より)

わたしは五次志向意識水準まで到達していないんじゃないかな。早朝のカラスたちのミーティングを見て羨ましく思うのも、わたしが1ばかりだからかもしれない。カラスたちは1.5くらいに見える。ただツルんでるだけかな。


この本は副題の「ダンバー数とつながりの進化心理学」に興味があって読んだのだけど、「気のおけないつながりは150人まで」というダンバー数の話は序盤で終わり。後半から背骨と脳の話が多くなり、最終的に進化と認識の話のほうが印象に残りました。

 

友達の数は何人?―ダンバー数とつながりの進化心理学

友達の数は何人?―ダンバー数とつながりの進化心理学