うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

どこまでも主張を消そうとするキャラクターがキャラクターであるというジレンマからの学び

たいへんです。またジレンマに陥りました。もう沼。すんごい沼。ぜんぜん出てこれない。
先日友人が、ぼーどびるでゅおの話おもしろかった! というメッセージをくれて、あらそんなに? と嬉しくなってまたザ・ボードビルデュオのページを見に行ったら、「この本を読んだ人はこの本も読んでいます」とばかりのアフィニティ機能で別のカップルの姿が目に入りました。

ここが壮大なジレンマの入り口でした。

www.sanrio.co.jp

 


え、なにそのネーミング。ん? それはネーミング?
これはあくまでわたしの主観ですが

  • 性別対比のカラーリングはパティ&ジミー
  • 顔はザ・ボードビルデュオ
  • ボディラインのタッチはミッフィー


およ、およよ。最後のミッフィーさんは別の事務所の所属では? しかも外国の事務所よね。大丈夫なんかいなこれ…。
と思って検索したら、別のリングで訴訟が起きてた…

japan.cnet.com

 


あたま混乱してきた。
ちがう。ちがう。そうじゃ、そうじゃなぁ~い♪
わたしがしたいのは、そういう話じゃない。

 

名前、つけないんだ! と思ったのです。
これはもしかしたら、哲学的なトピックなのかもしれません。

 

 


 名前がないと認識できないのか

 

 


そんなことはない。名前はその存在を誰かと一緒に認めるための、共有認識のための記号。キャラクターとは本来、性格・性質を示すもの。なんならジャイアンのび太だって、「あのラジャス」「あのタマス」でよいのです。

 

もしかしたらこれはたいそう根源的な教えを孕んでいるかもしれません。
気になったので同時代の男女コンビを確認してみました。


「ボーイ&ガール」「チェルシーストライプス」には、それぞれのメンバーに名前がありません。どうやら人は、対象を名前で分けたい。分けて区別してあれが好きだこれが好きだと言いたい。そういう生き物のようです。


キキララが「リトルツインスターズ」というコンビ名でデビューしたものの個別称を足しあげた呼称のほうが定着したのも納得のオチ。だって相手は子供。成長して英語の意味が分かるようになってから正式コンビ名を知る楽しみまで与えてくれるなんて、ニクイことするわぁ。
そんな学びの過程あっての「ザ・ボードビルデュオ」であったのか。
わざと難解にしたんか!

 


 キャラクターとは本来、性格・性質を示すもの

 


共感しやすい要素を投げかけてフレンドリーさを醸し出したり、疑似恋愛を演じたり、媚びて支配欲を刺激したり、そんな技巧を凝らして「さてこのわたしは〇〇という者です。どうか、どうぞ、なにとぞよろしくお願いします」などと言ってみたところで、そんなものはキャラクターでもなんでもない。なんでもないんじゃわーーーい!
深い。深いわぁ。

 


── ひとり相撲が止まりません。
── さて。

ところであなたは、サンリオ事務所所属のトリオでは、どなたがお好きですか?
わたしは断然、ゴロピカドンです! あきらかに構成はドリフなのにサンリオさんの手にかかるとこうなるんか! と、当時まだ10代にすらなっておらず1代でしたが、たいそう感銘を受けたものです。
ゴロピカドンのプロフィールにある「誕生日:かみなり歴53年14月25日 8才」というデーモン小暮閣下のような設定に、ただならぬコンセプトを感じます。

 


はぁ。。。(回想中)
ゴロピカドンのカンペン買ってもらったとき、嬉しかったなぁ。ヤングよ、わかるか? カンペン。非常食のことではありませんよ。