うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

ドロップイン仕様の「DuckDuckGo」を使い始めた

しばらく前からスマホでのウェブ検索に「DuckDuckGo」という検索エンジンを使うようになりました。

 

ヒルゆるキャラっぽいマークが目印で、なんとなく引越センターにアクセスするような気分になるアイコンです。

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DuckDuckGo」は検索履歴を保持しないので、個人と検索ワードを紐づけたり解析したりなにかをおすすめしてきたりしません。Google検索に慣れている人には不親切に感じるかもしれませんが、使い分けるとラクな場面もあります。
わたしは普段は東京都内を、そうでないときも国内を移動するので、Google検索だと先週居た場所のものがレコメンドされて「いま、もうそこに居ないのよー」ということがたまにあります。すぐに忘れちゃうノリでまったくストーカーっ気がのない「DuckDuckGo」を旅先で使っておけば、あとでいつまでも過去の気分のものをおすすめされずにすみます。

いつもクラウチング・スタートで「記憶しまっせ!解析しまっせ!あなたの意識の酸いも甘いも追いかけまっせ!」と前のめりで待っているGoogle検索には、なんだか雪の日に草履を温める秀吉のようなこわさがあって、ときどきぞっとする。

 

仕組み上いずれそうなっていくと頭ではわかっていたつもりなのだけど、やっぱりGoogleの近頃の生活への食い込みかたは行き過ぎ。「DuckDuckGo」のポリシーは「プライバシーを取り戻そう!」というものらしいけど、わたしはそこまで「Google検索しつこい! あなたとはもうお別れよ!」という感じでもなくて、いまは併用しています。
DuckDuckGo」は集合知で熟成されていく仕組みではないため検索結果にノイズが多く、公式サイトを見たい時に「公式」という文字列と一緒に入れるなどの工夫が必要なです。でもこの感覚がこれからは大事なんじゃないかと思っています。

 

DuckDuckGo」は10年前からあるサービスですが、今年になってChrome検索エンジンオプションにこそーっと追加されたり、じわじわ知られている模様。
「いまこれが主流」「みんなが使ってる」「よしなに処理してくれる」というGoogle帝国的便利さとは別の視点で、一回一回の瞬間を生きる。ルー大柴文体で言うところのヴィヴィッドなライフに、いとうあさこ文体で言うところの生きてる!という感触に似た、わたしはいまここを信じていきたいの! という気持ちを汲み取ってくれる。
ここ数年わたしは「20年も経てばウェブ検索も権威万歳の村社会化になるのだな」とモヤモヤしていたのだけど、やっぱりそれだけじゃない。
世の中捨てたもんじゃないねという気分でいます。人間同士の関係性も、きっとそうなっていくだろうと思っています。