先日ふと、数年前にインドでハイキングへ行ったときのことを思い出しました。
わたしが親方と呼んでいるインド人の先生は、わたしよりも若い人。 練習のときは完全服従なのだけど、習慣について「なんでそうするの?」という会話から問答みたいになったことがありました。
ハイキング中、15人くらいで寺院に入った時に、靴がハチャメチャになっていたので、帰りにスッと出られるようにそろえる作業をしていたら、5足目くらいのところで先生に「ありがとう」と言われました。「はぁ」と思いつつ「習慣だから…」という返事をして続けていると、一足ごとにありがとうと言われます。
いじられてるのかな…、と思い「はいはい、もー! うるさいわっ」と笑っていたら、こんな会話になりました。(会話は英語でした)
「これ、みんなやるの?」
「いや…。わたしはホテルでパートタイム・ジョブをしていたので、そのときからの習慣なんですよね…」
「でもここは、ホテルではないよ」
「そうなんですよね…」
「なんでここでやるの」
(・・・つ、詰められてる?!)
なんとか、この場を切り抜けるテを考えました。
「ヴィンヤサ〜 みたいなもんです」
「なんだそれ!」
そのときは、こんな会話をしたと記憶しています。
こういう「なんでそれをするのだ」という、行動の不思議を外国人とぶつけ合うのは旅先での会話の醍醐味でもあるのだけど、あとで自分が内在化させているものに気づいてうわーーーっとなったりもします。
以前は視覚的にタテヨコが揃っていると気持ちがいいからだと思っていたのですが、単純にそれだけじゃないような気がして。
気が利かないことを指摘される恥を先取りする意識行動。「やってない」ということにされると困る、みたいな意識が内在化している。日本にいたら誰かに指摘されそうなことを、海外にいても、先取りして行動している。
むむぅ。。。そりゃ「嫌われる勇気」なんて本が、売れるわけだわなー。読んでないけど。