うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

「営業」と思って行動してみる


お盆や年末年始の過ごしかたに悩んだりすること、ありますね。
ライフスタイルや所属意識が多様化している昨今、いろんな話を聞きます。
わたしの友人には東京が実家だという人が何人かいて、ほとんど帰省という概念がないようです。でも誕生日などのプチイベントを親戚とちょこちょこやっていたりして、うらやましい。他人とのつながりかたは、ほんとうに人それぞれだなと感じます。
まえに


 過去の自分と結婚する感じで


というのを書いたことがあります。
これはライフスタイルが人それぞれになっていくなかで自分なりに思っていることを、都会から離れていく人へ伝えたときの話。
たとえばお盆や年末年始は、結婚している人が相手方のところへ帰省する場合に限らず、自分の故郷へ行くときでも実際ぴんときていないということって、けっこう多いんじゃないかと思います。
年に数回の帰省を楽しみにがんばっている! なんて目をキラキラさせて話すヤングが今わたしの目の前にいたならば「その感じをキュッと濃縮したサプリ、おばちゃんお金で変えるなら、買いたいな〜」なんてダミ声で口にしてしまいそう。そのくらい、自分の輪郭が年々薄れている。


でも習慣みたいなものは、やんわりあるといえば、ある。
儀式とまで感じてはいないけれども、なんとなく世の中の流れに合わせることがあるとき、
わたしはたまに


 営業に行く


という感覚を持つことがあります。マーケティング用語に「リテンション」という言葉があるのですが、それと似たような。
義務と解釈してしまうと支配ゲームになりやすい感情も、「営業」と思えば心持ちが変わります。行動判断の主導権を他者へ明け渡さない。


たとえば遠くに住む友人に会いたいとき、とくに理由がなくても会いたい。別に相談したいことがあるわけではない。なにかのついでがあるわけでもない。ただ、会いたいのだ行きたいのだというときに、「わたしにとってわたしが大切と思う人だから、そろそろ営業をかけておこうかな」と。わたしの場合、こんな感じに変換すると少し積極的に行けるのです。なんでだろ…。
営業だと思うと、相手の都合を気にしすぎる余計な思考が減らせる。見返りを求めない営業行為に変換できる。求めないのに、営業(笑)。



さてさて、早いもので、もう8月。
わたしが平日に顔を出す組織でも、ちょうどいま「わたしはこの日に休みます〜」なんてやってます。
こういうとき、根無し草のわたしにはわかりやすい行き先も予定もないので、5秒で提供できるコンテンツがありません。
以前はこういうときに少し苦しさがあったのですが、年々それも少なくなってきて



 暑いけど、気をつけて行ってきてね〜、(営業)


 楽しんできてね〜、(営業だけをするのではなく)



と、心の中で見えないカッコを添えてあいさつをしています。
にゅふふ。わたしはどこへ、営業へ行こうかなぁ。