うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

和田裕美の性格がよくなるメールの書き方 ― 知らないうちに相手をカチンとさせていませんか?


メールって、むずかしいですよね。いまはそれぞれの人のメールの使い方が細分化しているので、さらにむずかしいと感じます。
パソコンか、ガラケーか、スマホかなどの受信デバイスの違い、メールを自動プッシュで取りに行く人、自分のタイミングで読みに行く人、LINEとの使い分け…、受信頻度や形式もいろいろ。送ってもよさそうな時間の判断も、むずかしい。
一日に受け取るメールの母数もさまざまで、ウェブの仕事をする人ならシステムから自動で送られてくるログ報告みたいなメールまで入れたら1000通近いなんて人もざらにいます(もちろんフィルタして、重要なものしか見ないけど)。「メール」との接し方の幅が思いっきり広がっている。

この本は「文章」にフォーカスした内容なので、この本のトーンで言うと、わたしのメールの文章はかなり事務的。「不機嫌なのか」と思われるレベルかも。
この本にもありますが

情報しかないメールは、そんな気がなくて、「マイナスの感情」を表す言葉が入っていなくても、冷たく、いじわるに思われることが多いのです。(103ページ)

この「感情を乗せないと不機嫌そうで感じ悪い」の風潮はどこまでエスカレートするのでしょう。「悪い妄想をさせない」ほうのノウハウ化ばかりがどんどん進むと、和を重んじるマナーが難解すぎて「え? それ逆の意味なの?」という京都のならわしみたいになりそう。



和田裕美さんという人は、人間のネガティブな感情を熟知した方だなぁと思ったのですが、営業出身の方なんですね。かなりいろいろな経験をされていることが伝わってくる以下を読んで、いろいろあきらめがついた。

  • 「自分がこういうふうにフレンドリーにされたらいいな」という基準で相手に接してしまうタイプの人って、実はとてもやっかいなのです。(44ページ)
  • どんな話かもわからない。とにかくなにかの「お願い事」という気配だけはある。そして、自分の都合のいい時間の提示……。(中略)なんとなく受け取った人が億劫になってしまう文章なのです。そして、会いたいという気持ちにならない文章なのです。(59ページ)
  • 「これからが地獄のような忙しさですね」「こういうふうになったらとても困りますよね」なども一見、相手の心配をしているようでいて、ジワジワと内側から痛めつけるような文章です。(61ページ)

こういう連絡のされ方は「どう返信していいのか」と迷っているうちに、なんかそのままになっちゃうんですよね。


以下の箇所にも「そうそう!」とうなずきました。

当然ですが「老婆心ながら……」とか「釈迦に説法ですが……」みたいな「口語では使わないけど、書き文字だとつい使ってしまう」っていう言葉は絶対に使わないんです(メールだととたんにこういう言葉遣いになる人、いるんです)。(215ページ)

「老婆心ながら」って、ほんとだ! と思いました。逆もある。わたしは口語で「走馬灯のように」という人に「ん?」と思います。走馬灯の絵が浮かばないから。「超倍速で再生」とかのほうがしっくりくる。わたしが日本語を知らないだけか。


この本には「どうかよろしくお願いします。」というフレーズがあたり前に出てきていて、普段から少し気になる表現なのですが、意外とスタンダードなのかな。わたしは「どうぞ」じゃカジュアルすぎるというのはわかるけど、だからって「どうか」だと秀吉が草履を温めそうな勢いがあって、大げさと感じます。


全般、もうちょっと読み手を信じていい世の中じゃないと、しんどいなぁ。「伝達」以外の目的を乗せすぎで、「絡みたい」「かまってほしい」の量が多すぎる。みんながちょっと相田みつを文体を習得しなきゃいけないかのような、そんなムードを感じました。「要件のみにて失礼します」ってフレーズがあること自体が窮屈なんですけどね。
「この人と関係を育てたい」という気持ちがあれば、想像力をはたらかせるよね。ってだけのことだけど、「現代は怒りやすい、被害妄想をしやすい人が増えていますよ。小さな地雷も踏まないように、気をつけて」ということを教えてくれる本でした。
お互い好き同士なら電報みたいな連絡でうまくいくんだけどな。という、残酷なほどシンプルな答えをあぶり出してもいる。そういう視点で読むとおもしろいかも。