うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

正直エビス 蛭子能収 著


なにかのインタビューを見て気になり著作を読んでみました。「思想の科学」という雑誌に連載されていたエッセイをまとめた1996年の本です。
「火山は何も考えない」「生命保険には反対だ」は名作。「ゴミとつきあう」を読んだらほぼすべての女性が「蛭子さんのような男性と結婚したい」と思うだろう。スワミかつジゴロでした。びっくり。いきなりあとがきから紹介するのもなんですが、このコメントはしびれます。

<あとがき より>
 よく仕事を頼まれる時に「エビスさん好きなようにやって下さい」と言う人がいるんですが、仕事ってこと自体が嫌なことなのに好きにして下さいってどういうことだ? と思ってしまうんです。
 好きなことだけやって生きている恵まれた人もいますけど、そんな人はほんの一部、でも、ほとんどの人は、それをめざして嫌な仕事をやっていると私は思っています。嫌なことも嫌、嫌と言いながらやってしまう自分が私はしょうがないけど好きです。またそんな人が好きです。

なんて健全な自己肯定スキル! 日本版クリシュナの称号を与えたいほどのカルマヨーギー発言。




しかも、めっちゃヴェーダーンタなんですよ。

<「私の中のおりこうとバカ」より>
私だって、おりこうの時とバカの時があり、人間は誰でも、おりこになったりバカになったりするのであるから、バカというセリフに、ことさら神経質になることは無神経ということになりはしないだろうか。

「バカ」という言葉の出てくるテレビCMにクレームを言う人に対する意見の流れから、あらやだこんなところに脱力スワミ。



<「てめえバカじゃないの?」より>
言葉遣いというのは、せめて年上の人に対しては良くしてもらいたいが、大人が悪い言葉に上塗りするように対応するのは、やめなければならないと思う。

大人が「子どもがtwitterで炎上してるよ」と、ネットで起きたことをわざわざテレビで報道するのは上塗り以上だと思うので、いじめに厳しいスタンスのエビスさんに斬ってもらいたいわぁ。



<「私は父親にも上司にも向いている」より>
 何かいろいろ考えているうちに、誰を信頼すべきか、というと、やはり私みたいな見た目は悪くても、誰かを威圧する風でもなく、ヘラヘラして権力もなく、しかし何をすべきかという考えをきちんと持っている人なのである。自分で言うのも何だが、私こそ上司に向いて、父親に向いているのだ。

「父親にしたくないタレント」「上司にしたくないタレント」に選ばれたという話の流れから。なんか、夏目漱石みたいなんだよなぁ。




サラリーマン経験も長く、こんな一面も。

<「ダンドリ魔は悲しい」より>
 旅は観光であるけれども、私はその観光を効率よく敏速にこなす計画を立てることが好きなのである。サラリーマンをしていた頃も幹事役として、列車の時刻や弁当の手配、観光のコースを予定通りにこなしていくのが非常に好きだった。そして予算をちょっぴり余らせて、その余った予算で全員にお土産を持たせるのが心地良かったのである。

このほかにも、結婚するなら蛭子さんのような男性がいい! と必ずや女性が思うであろう側面が多い。すてきなんですよ。



<「接待にはつきあったけど」より>
 私は決して他の人とコミュニケーションを取るのが嫌なわけではない。ただ商売相手の人と当たりさわりのない話をしながら食事をしなければならないというコミュニケーションの取り方が嫌いなのである。
 相手は私におべんちゃらを言い、私は相手方に笑顔を送らねばならない。そして割と高い料理を食いながら、なにやら一般人とは違う高級な意識が生まれたりしてイヤーなムードが漂い始めるのだ。

エッセイ全般に、この後半の「高級な意識が生まれたりしてイヤーなムード」というような吐露が多い。いまで言うと「意識高い系」への嫌悪感。




なんか、ひとことで言うと、脱力感からしてラマクリ師匠っぽいです。


背表紙がこんなでした。


ギャンブル好きの捻れ闘争型で偶数なスワミであります。
今後はエビスワミとお呼びすることになりそう。