うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

常識にとらわれない100の講義 森博嗣 著


ものすごく面白かった。
タイトルの影響もあるだろうけど、前に読んだ「暮らしの哲学 ― やったら楽しい101題(ロジェ=ポル ドロワ著)」と読後感が似ていて、胸椎5番〜7番あたりがよくほぐれます。
全般、この著者さんの「人づきあい」の感覚にうなずく。わたしは最近、人間はそんなにたくさんの人と繋がったりコミュニケーションをとるように創られていないのではないかと思っていて、そういう面で共感するところが多かった。


ひとつ、自身のことについて語っているくだりでおもしろいところがありました。
まずはそこから紹介します。

34:「森博嗣らしくない」と言われることが、僕にはとても嬉しい。
 自分としては、ころころと気持ちが変わっていると感じている。それなのに、「森博嗣はぶれない」なんて言われることがあって、いったい何を見ているのかな、きっと勝手に幻想を抱いているのだろうな、その幻想がぶれないのだから、あなたのほうが凄い、と思ったりするのである。

「幻想がぶれない」って、ほんとそうだ。ここは「サーンキヤの人が語るヴェーダーンタ」みたいな筋立てでおもしろい。



実際に著作を通じて実験をしちゃったりする人でもあるので、これは江戸川乱歩に弄ばれる感覚が好きな人にはたまらない。

48:一所懸命であれば許される、というのは幼稚園児までだ。
 僕は、最近出した科学に関する本のあとがきで、わざとその本を「十二時間で執筆した」と書いた。科学的なものの見方をしなさい、という本なので、そのことをみんながどう捉えるのか、を見たかったのである。案の定、大勢がこの部分に反応した。十二時間で書いたなんて凄い、と言う人と、十二時間で書いたなんて(いいかげんな意見だから)幻滅だ、という意見が半々だった。
 しかし、そのいずれも間違っていると僕は思うのだ。僕が十二時間で書いたという事実は、ただそれだけの意味である。それが偉いわけでもないし、当然ながら自慢できることでもない。また、それが不十分な時間だということもないだろう。ようするに、本の価値とはまったく無関係の情報なのである。そういう客観的(あるいは科学的)評価をすることが正しい、と僕は思う。

この本には、ほかにもこういう実験例が出てきます。


もう一箇所、紹介します。

56:「森博嗣は金儲けのために小説を書いているって本当?」と驚かれるが。
(自身の著作の流通数を具体的に書いた後に)
 多いとか少ないという意味でもなく、自慢でも謙遜でもない。こういった情報に感情を乗せるのは僕は好まないが、多くの人は、感情抜きの情報が受け取れないらしい。そういう人が、「誰某(だれそれ)にエールを送ります」とか「子供たちの笑顔が見られるだけで幸せです」なんてことを言いながら、その実は商売をするのだろう。

多くの人がメディアに対して抱いている不快感の更に根元にある、「感情を右から左に流してそれをビジネスにする非クリエイティブさ」についてのツッコミという感じもする。
この本には、「これ読んだらキーッ! ってなる人がいっぱいいそうだなぁ」というトピックもごろごろ出てくる。



新しい本なので、引用は少なめで紹介します。
まず、以下のトピックは「ほんとそうだわ」と感じた。

  • 14:後ろめたく感じるセンスというのは、非常に正常なものだ。
  • 37:切れない刃物ほど手応えは大きいものである。
  • 39:黄色のペンキを塗るのは、黄色が好きだからとはかぎらない。
  • 58:敷居は低ければ良い、なんてことは大間違いである。
  • 71:「ずっと不安を抱いている」と言う人がいる。
  • 87:「自炊」がどうこうよりも、図書館の方が問題でしょう。

71の不安の話は、五木寛之さんと逆のアプローチなのだけど、これも確かにそうだなと思う。
森氏の場合は

不安のままには絶対にしておけない。そういうのが「不安」というものである。

というスタンス。
「情報」についての書き方も同じく五木寛之さんと逆のアプローチという印象を受けるのだけど、どっちも「人それぞれの中で生まれる幻想とその交換」の話をしているという点では同じなので、「不安の力」を読んだ人にもおもしろく読めそう。



この本には「感情」について淡々と語っているところがたくさんあるのだけど

15:大切なものを失うのは、その場限りの理由につい圧倒されるためだ。
 判断というのは、多くの場合、感情的に、直感的に行われ、そのあと理屈を考え、論理を構築し、その判断の補強をするのである、冷静に、情報を分析して、客観的な判断ができる人は少ない。それは、常日頃から、自分の感情をコントロールし、他人の感情を観察し、物事のどこに本質があるのか、ということを、自分や相手といった人間関係から切り離して考える癖がついていないと、難しいかもしれない。

あらパタンジャリ(笑)。



60:人の主張の大半は「これが正しい」ではなく、「こうあってほしい」である。
 なにしろ、自分と意見が違う人はもう人格も認められない、というのが日本的な考え方である。意見に反論されると、「私が嫌いなの」というふうに捉えるのである。

沖先生の本かと思った(笑)。



66:そんなに不満を言うなら、どうしてまたそれを手にするのか。
(鍼や灸治療の喩えをあげたあとに)
 このメカニズムに従って、本当は自分に対して怒りたいことがあるのに、他者のことを怒って紛らす。自分に苛立っているのに、他者の細かいことに文句を言うことで楽になる。まあ、そんな感じなのではないか、と勝手に想像している。でなければ、そういった状態が続く理由がない。だから、文句を言うために読む、というのはまんざら間違ってはいない、その人にとっては理由のある行為なのである。

野口先生の本かと思った(笑)。




とまあ、こんなふうにおもしろいのです。
そして、元気づけられる本でもあります。たとえばこんなふうに。

25:忘れることは、抽象化の一つである。
 忘れることによって抽象化されるというのは、人の頭脳というシステムの優れた特徴だと思う。こういった思考ができることが、コンピュータより勝っている点だ。



44:自分にはできないぞ、と思ったことでも、少しずつ周りから攻めていく。
僕は、できないものがいつかはできる、と信じられることが「自信」だと思う。僕は毎日の工作でその自信を味わっている。こんなものが作れるようになったんだ、と自分を褒めてやれることが嬉しい。

養老孟司さんの本が好きな人にも楽しめる内容です(でしょ?)。



引用をなるべく抑えようとしたけど、感情に押されてけっこういっぱい引用しちゃったなぁ(笑)。
ついムードに流されてしまうとか、人のリアクションが気になってしまうとか、マーヤーに魂を売ってしまいがちだわイカイカン、と思う日々をお過ごしの方に、強くおすすめしたい一冊です。


▼文庫化されたよー

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