自身のサイトに寄せられた人生相談にこたえたもの。寄り添って同調バリエーションをふくらませる人生相談は、昼間のテレビ向き。この本は、ひとりで読む本。
悩み相談というのは、発せられた、手離れした時点で悲しみや憎しみや恨みの球種が決まっている。寄り添いながらもその球の回転のしくみを淡々と追っていく作業が同時に走る。
その平行作業そのものは、身近な友達の相談でも無意識にやっていることなのだけど、ばなな氏のアウトプットは名人芸。「さすが」というよりも「ちゃんと自分なりの分解と染色でこたえていて、根性あるなぁ」という印象。
文庫版あとがきの最後に「この本の中に小さくちりばめられている真実のかけらがみなさんをちょっとでも温めますように」というコメントがある。これは、「真実は真実」だけど、「温められるか」というところに自分の役割があると思ってこたえました、ということだろう。そういう内容の本になっている。
31の相談をまとめたものですが、3つ厳選して、なかでもスワミ度の高い箇所を引用紹介します。
「Q:憎しみからどうすれば解放されるのでしょうか?」 より
憎しみは、育ててしまうと育ってしまうものです。
育てないようにすれば、いつしか養分を絶たれて枯れてしまいます。
ほとんどの憎しみは、自分の至らなさを棚にあげてある種の甘えを持っていることから生まれているように思います。
(中略)
考え方の出発点が憎しみの中にあると、どうしても憎しみぐせのようなものがついてしまうし、それはなかなか抜けにくいと思うのですが、少しずつなら変わっていく可能性があり、生きている限りはいつでも変わっていける。その自由こそが人生の醍醐味です。
「憎しみぐせ」か。なるほど。身体の使い方の癖のようなものか。
「Q:女性が社会で働くというのは、いろいろな意味ですごくたいへんなことに思われます。なにを心がけたら、心身ともに健康でいられるのでしょうか。」 より
社会に出て働くということは、自己実現のためではありません。自己実現のためと思っていると、いつの間にかまわりから人がいなくなります。
自分の能力を他に還元する、という人類の本質的な欲望が、働くということです。
スワミ・バナーナンダ。
「Q:セクハラまがいの発言をする先輩ばかりの部署で働いています。どのように対応すればいいのでしょうか?」 より
男子が多すぎてノリでそうなっているが、言っているほど思っていない人が大半である可能性もありますし、まわりの女性が意外に陰で先輩や上司に簡単に体を許していて、その風潮が全体を覆っているケースもあります。ひとりだけ高潔な男性がいて、その人を揶揄するためにことさらに他の人が下品になっていることも考えられます。
とにかく人間対人間として考えてみて、職場全体がどういう状況なのか、それを見極めてからいろいろ考えて行動したほうがいいのは確かでしょう。
確かだねぇ。確かめよ、の教え。まわりの女性が意外に〜 のくだりは、ばなな風味のおもしろさ。
「〜でしょうか」と「〜のでしょうか」はもう出だしの時点で球種が違っている。そこから、コンテンツがはじまっている。
わたし自身のことに重ねてジーンとくるものもあったけど、最後に残る印象は「温かいうえに、うそがない」。ということ。「嘘も方便」ではなく、方便しないでできることがあるか。そういう静かなチャレンジの姿に勇気づけられ、共感型ではない人生相談に仕上がってしまうところが、この人の才能であるなぁと感じました。
母になったばなな氏とそうでないときの過去を語るばなな氏の両面もよかった。
ひとりのときは「生きること」と「死ぬこと」の両方に同じだけ興味を持ってもよかった。でも母になったら、「生きること」への興味のほうにドライブをかけて役割を果たすんだ、という意気込みのようなものが感じられる。子育てって、そういうことなんだろうな。子という存在がドライブをかけさせてくれるということなのかもしれない。この、「ひとりばなな」と「母ばなな」の両面を嫌味なく見せてくれるところも、うまいなぁと思う。
吉本隆明さんの本を買いに行ったのに、結局この本を買って帰って、イッキ読みした。
「自分で考える力」の遺伝子は、しっかりと刻まれていくものみたいです。
★よしもとばななさんの他の本への感想ログは「本棚」に置いてあります。