うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

言葉の魔術師 ― 百人の名スピーキング・マジシャンのタネと仕掛けを見破る 多湖輝 著

言葉の魔術師―百人の名スピーキング・
95年の本。たまにこういう時代感あふれるライフハック的な本を読みたくなります。「エモヤンの本をリアルなオヤジとして読んだら楽しかっただろうなぁ」という、ときめき願望か。
女子力速攻ゲットをテーマにしたような本や、スピリチュアルで自分を発見しよう、という本よりも、こういうおっさんターゲットの本のほうがリアルに感じる。「逃げ場なんてない。だったらせめて、少しでもこうなれたら」というマーケットに向けたものなので、書き手のサービス精神がほんとうにサービスなんですね。


こういう本は、読んでみるとだいたい内容自体は「別に読まなくてもよかった」というものばかりなのですが、「こういう内容を世のおっさんに向けて訴求した」という事実が視覚的に文字で入ってくることが楽しい。
各個人が「こうなりたいです」という思いをあらわす言葉は、今となってはブログやネット上にあふれるコメントで垣間見ることができるようになったけど、ネットがここまで一般化する以前の時代は「ニーズがあると思って書いてみた」という本の文章から読み取るしかない。本にすること自体にメッセージ性があるように思います。


この本はマーケティングの本であり、接客ノウハウの本でもある。と思うような内容でした。
ふたつ、おもしろかったところを紹介します。

<俳優・高島忠夫氏はなぜ、弟子入り希望者をすんなりと諦めさせられたのか より>
「君はいま目の前にいる私を見て、こんな程度の男が芸能界でここまでこれたのだから、自分だってスターになるのは夢じゃない、と思っているかもしれない。たしかに、僕は顔もたいしたことはないし、歌だって演技だって、しびれるほどうまいわけじゃない。でもね、君には見えないかもしれないけど、じつは僕の背中には、大きな幸運の星がついていて、ピカピカ光っているんだよ。この星のおかげで、僕もここまでこれたんだが、こんな幸運の星はだれにもそうそうついてくれるわけにはいかない」
 こう言うと相手は、"ほんとうかな" という顔をするが、「だから君はもっと能力を発揮できる仕事をしたらどうかな」と続けると、案外素直にうなずくという。

息子さんたちに、「おまえの背中には、親という星がついているから」と言っていたらかなり素敵だな、なんて勝手に妄想しましたが、「責任取れないよ」という表現としての実例としてうまい。

<一流眼鏡店ではなぜ、老眼の人に抵抗なく老眼鏡を買わせられるのか より>
 たとえば、ある一流眼鏡店では、老眼鏡のことを「読書用メガネ」と呼んでいるのだそうだ。たしかに老眼の人は、ふだんはメガネをかけていなくても、新聞や本を読むときだけ使用することが多い。これなら、使う目的を強調したネーミングなので、抵抗なくかけることができる。また、読書用メガネなら、四十代あたりの人でも、わりと意識せずに買うこともできよう。みごとな置き換えだと感心したものだ。
 一方で、「言葉の置換」が誤用されたらどうなるだろう。例のオウム真理教では、殺人のことを「ポア」と呼んでいた。「ポア」とは、シバ神による救済、という意味を含んでいるらしく、死んでも相手は救済されるのだ、だからポアは善行なのだ、という論理らしい。以前にも、連合赤軍事件のとき、同じように「総括」という言葉があったが、ひとたびその言葉に価値観を植えつけると、知らずに言葉だけが一人歩きすることを、この二つの例が示している。

前半はマーケティング・ノウハウなんだけど、そこからオウムの話に展開するのがおもしろかった。ものすごい変化球。


有名人の名言がたくさん出てくる、気楽に読める本でした。