帯には女性を泣かせる一冊のようなコピーが踊っているのだけど、身近なヨガ友で同世代女子のユッキーとゆきんこは「よくわからなかった……」という感想。ひとつひとつきれいに落としてくれるタイプの話ではないからね。
これは、恋愛をモチーフにした説法漫画。
うそをついてまで、見たい夢の話。
いつも誰かに愛されていると信じたい女のひとたちの話。
この本に登場する女のひとたちの間には、
「信じているものを、奪ってはいけない。確かめてはいけない」
そんな、暗黙のルールがある。
確かめない。
「恋」のおはなし。
この物語には、老いも若きも、女のひとたちが恋にすがって生きる姿がたくさん描かれていました。いくつか、心に残ったセリフを引用紹介します。
娘の肌は
あまりにもうすくて
やわい桜の色をしていて
さわると
私のくもった心が
しみてしまいそうで
心配でならない。
(なおこ / 主人公)
なおこはシングルマザー。
今度こそ負ける思うのよ。
人のこと悪うにゆうたら
悪いことばと悪い気持ちに、
自分がダメになると思うのよ。
(ともちゃん / 友だち)
「悪いことばと悪い気持ちに負ける」と思うところまで、思う修行。
すきな人を
忘れてしまったのに
恋をしている私は
もうだいぶん
狂っているのかもしれない。
(なおこ / 主人公)
恋という意識って、なんだろうね。
このあたたかいものは、相手が人間じゃなくても成立する。と、個人的には思っている。
みんな、自分の執着の存在を思いっきり認識して、執着ごと受け止めて苦しんでいる。
自分のくもった心に対峙している。
そんな恋でも、ないよりはいいんだ、という。
執着の存在を知らされることで、「生」を感じている。
宗教では滅すべきといわれる「執着」とのこんな向き合いかたをみることで、また「不安の力」を感じた。
執着するには、エネルギーがいる。
エネルギーがあるから、執着できるというものかもしれない。
もう10年近く前になるけれど、「宗教」の問題で恋に悩んでいる男性の友達に、「いまのあなたにとってはその恋も宗教だから、同等なんだよね」といったら、親に相手の女性の宗教のことを理解されない(であろう)こと、自分でも懐疑的であったことだけに向けられていた意識がそらされたようで、なんだか感謝をされたのだけど、「よりどころ」というのはそういうものなのだろうと思う。
ヨガはこういうものをバッサバッサとやっていくから、たまにこういう角度で描かれたものを見ると、別世界に行ったようで新鮮だ。
感情的な女性が魅力的に描かれなくなってしまったら、それはすごく、寂しいことなのかもしれない。