うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

歓喜の街カルカッタ ドミニク・ラピエール著

以前「不可触民―もうひとつのインド」の感想を書いたときにお友達がコメントで教えてくれた本です。
このお話はノンフィクション。2年間の取材を経て書かれ、12カ国に翻訳されています。カルカッタのスラム街の人々の暮らしを描いたものですが、その日常は想像を絶する現実の数々と、考えられないような絶望(人身売買、人骨売買、マフィアの貧困者虐待、結婚においてのゆすり、ハンセン氏病、そして天災。マザー・テレサも登場)の中でも明るく生きる人々の美しさに、感動というひとことでは収まりきらない感覚を得ました。美談でも英雄伝でもない、「ただの現実」だからです。
農民の息子で田舎からカルカッタへ家族とともに出てきたインド人、フランス人のカトリック神父、アメリカ人のぼんぼん医師の3人が主人公。それぞれの人生が平行して進むのですが、ストーリーは前半・中盤・後半へと記載した順の人物を中心に描かれています。中心人物はフランス人のカトリック神父で、この著者もフランス人です。(同一人物ではありません)
あまりに印象に残ったページのメモが多いのですが、いくつか紹介します。

<上巻36ページから>
ハザリ(インド人の主人公)は痛切なひとつの教訓を(カルカッタに来て)学んだのだった。「非人間的なこの町では、仕事の途中で倒れる者がいる。そうである以上、いつか自分が死んだ者にとってかわって働けないようじゃ男がすたる」

多くの人が路上で死に絶える町での現状。仕事を得るにも、そうとうな幸運が舞い込まない限り、つらい現実がたくさんあり、そして仕事を得た後には身体を酷使するしかないスラムのお父さんの現実です。



<上巻61ページから>
目の見えないひとや子供が這いつくばるようにして、ひとの足にさわってくる。どうしてこのまま放っておけるでしょう。施しをするのはたやすいけれど、それをこばむのはとても難しいものです」ポール・ランベール(フランス人の主人公)はブラジルの貧者たちの司教ドン・ヘルデル・カマラの言葉を思い浮かべていた。「われわれの慈善行為は、貧困を根絶しようとする行いをともなわないかぎり、さらにひとを援助の必要な者に仕立ててしまう」

貧困の地に訪れるすべての旅行者が感じる葛藤。



<上巻97ページから>
(水汲み場に行く途中で、赤ん坊にマッサージをほどこす母親を見たポール・ランベール。マッサージの描写の後)
つぎは何度か、子供の両腕を胸のあたりで組ませたり、開いたりさせて、背部や胸部、それに呼吸をのびやかにさせてやる。最後は脚で、これを腹の上にあげたり、開いたり、組ませたりして、骨盤を十分に広げ、安定させてやる。マッサージの仕上げは、こんな一連のヨーガ的訓練だった。子供は嬉々として、はしゃいでいる。
「これこそ典礼というものです」とランベールはいい、かくまで愛情と美しさと英知に目をまるくする。というのも、このマッサージこそ極度の欠乏症に脅かされた小さな身体にとって、物質をこえた糧である、と思うからだ。

この本で出てくるヨーガに関する描写はここだけなのですが、スラムの中で見た情景として描かれ、とても美しく心に沁みます。



<下巻38ページから>
ハンセン氏病は患者の性欲をかきたてるのである。とりわけ、亢進した段階の患者においてそうである。そのため、しばしば彼らは何人かの女性を共有し、たくさんの子供をもうける。神から呪われ者とされ、ほかの者たちから排除されている彼らには、どんな禁忌も社会的罰則も通用しない。

ハンセン氏病患者と二人の外国人との情景が多く描かれていますが、読みすすめながら頭に浮かぶ映像は「江戸川乱歩的」な世界で、病状を放置したために手足を失った人々が、病が進行する中、友人に自分の妻をお金で売ったりする現実が描かれています。



<下巻132ページから>
(ランベールがマックス<ユダヤアメリカ人の主人公>に語った内容から)
ヒンドゥー教は直観力にも神秘力にも恵まれながら、ペルソナとしてひとつの神を、わずかでも見ることができなかった。この神を世に示し、けっして神から離れなかったのは、もっぱらイスラエルだけの特権です。これはほんとうにすばらしい。マックス、考えてもみてください。人類史上時を同じくして釈迦や、老子や、孔子や、マハーヴィーラが生まれたすばらしい時代に、イザヤというユダヤ預言者は愛が律法にまさることを説いていたのです」
愛! ユダヤ教徒キリスト教徒は、この言葉の真の意味をインドで見つけだしたのだ。

ランベールよりもスラムの現実に目を向けることに苦労したマックスとの会話。非常に感動的な場面です。



これは長編のうちのほんの一部なので、もっと想像するだけで絶望的な気分になるようなエピソードがたくさん出てきます。著者はハンセン氏病患者たちの集落で過ごしたり、人力車をひいたり、二千五百人に一か所の割でしかないトイレに夜ふけからみんなと並んで待ったり、実生活を追う取材を敢行し、このドキュメンタリーを書き上げたとあとがきにありますが、本当にリアルな描写と取材力(そのエネルギー)はものすごいものです。
そして、そんな生活の中でも人々が助け合う姿、しばしば「奇跡」と表現される笑顔を絶やさない子供たちの姿、そしてすべての現実を受け入れる姿には、感動のひとことでは表せない多くのことがありました。