旅行中に読んだ本の紹介がたまっているので小出しにします。今回は北インド編と南インド編に続いて読んだ「東・西インド編」。これで完結のようです。3冊通して読むと、インド旅行を通して変化していく著者の心情がおもしろい。彼女のこの旅行記について、「そうはいってもちゃんとしたところが手配されたお嬢様旅行なんでしょ」という感想を持つ人が多いようだが、最後のほうにある彼女のインド旅行の結びは、いたってニュートラル。
<以下引用:「インドでの旅を振り返る」から>
インドは確かに面白いし、いつか再び訪れたいとは思うけれど、死ぬほど好きかと問われれば、そこまで好きではない。インドへ行くと必ず人生観が変わるというのも、少し大袈裟な気がする。(中略)修行という名目で怠けているだけのようなサドゥーを否定しない代わりに崇高だとも思えない。バックパッカーのように、気ままに旅をして、安宿を泊まり歩くのも素敵なことではあるけれど、わがままな私には熱いシャワーと清潔な寝床が必要なようだ。
そして、ピュアベジタリアンを目指してみても長続きしなかったことや、はじめは消毒ばかりしていたことなどを振り返っているが、「素敵なんでしょうけども、できませんでした」的なところに好感を持ちました。そしてもうひとつ、宗教観について興味深いエピソードがありました。
<以下引用:「ゴアのもうひとつの魅力、スパイス農園」から>
(案内役のフランシスさんとの会話)「キリスト教なのにヒンドゥー教について学んだりお寺を案内するのは苦痛ではないですか?」とフランシスさんに尋ねると、「インドでは、お互いの宗教を尊重しあうんです。そもそも、宗教は神が創ったものではなく、人間によって創られたものですから」と物凄く冷静な答えが返ってきた。自ら宗教に属していながら、「人間によって創られたもの」と言えるひとはなかなかいるものではない。
これについては、日本人の「宗教」という言葉に対してのすごく一般的な観念からの感想で面白かった。
わたしがインドに行ったとき、「仏教徒ですか? 私はヒンドゥーですが、あなたと同じくブッダを尊敬しています」と言われたり、とある工場でイスラム教徒の人たちがお祈りの時間に工場を出て行くのを、他の宗教に属する人たちが、「あ、もうそんな時間か。いってらっしゃーい」と送り出している場面に出くわしたのですが、そのときから、日本人の「宗教」という言葉に対する概念はやっぱりどこか戒律をデフォルメしたような印象を持ちすぎなのではないかと、彼女の感想を見て思った。私も、インドでその光景に会うまではそうだった。
実際ヒンドゥー教徒の家庭にホームステイをして思ったのは、宗教とのつきあいかたがとてもフレンドリーであること。そして、インドの人たちが日本に遊びに来て仏壇や神棚を見たら「日本も同じだ」という印象を受けるのではないかと思う。
いま神道についての本を読んでいて、それと繋がるけれど、なにが違うかといえば「自分がよくないとおもう状況」に対して「神に願うこと」のスタンスの違いのような気がする。先に「フレンドリーである」と書いた理由を少し書くと、ヒンドゥー教の神話に出てくるおちゃめだったりおバカだったりする神々のエピソードを楽しく説明しながらも、しっかり寺院でお祈りしていたり、「神は完璧」という感覚があるわけではないのに、きちんと宗教的な儀式をたくさん行っていること。この感覚に、「フレンドリー」という印象を持った。(★写真は、ステイさせていただいたおうちの神棚)
だが、ただそれは、ニューデリーという都会に住む裕福な家庭でのホームステイだったからかもしれない。インド人の感覚というのは、本当に面白い。うちこの場合は、インドが好きかといわれると、「インド人の頭の中の不思議さが興味深くてたまらない。だから、きっと好きなんだと思う」ということになるのかな。
インド旅行記〈3〉東・西インド編 | |
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