ラジオで紹介されていたのを聴いて、気になって読みました。
『列』に象徴されるものが、ちょうど同時進行で読んでいた本に登場する ”ドーパミン経済” というキーワードと重なって、同じテーマを小説として読んでいる感覚になりました。
この物語でドーパミン経済の濁流に呑まれる人は “餌付けされた猿” に喩えられます。
猿は野生だとそんなに苦労して独占しようとしたりしないのに、人間に餌場をコントロールされることで醜く競いやすくなる。
この人間バージョンの振舞いが、『列』という仕掛けのなかで描かれます。
あの人もこの人も並んでいる。いまこの列から離れたら、これまでの時間が無駄になってしまう。この列の先にある報酬に近づく興奮は捨てがたい。
ニュースサイトがコメント欄をほどよく悪質なままにしてページビューを確保するのも、SNSの無限スクロールの中に閲覧者の弱点をくすぐるテキストを混ぜてタップ数を増やそうとするのも、この心情を利用しています。
餌付けされた猿の世界で “疎外個体” “悪質個体” となるプロセスは、受けたサービスが足りない昔はこうじゃなかったと怒る人や、子供に動物の写真を見せて脅すヴィーガン原理主義者のようにも見えてくる。
暗喩を追いかけているなかで自分の記憶の中から導き出されるものは、いつまでも記憶の中に留めておく必要のない、もう捨ててもいい、関わりのない人の情報ばかり。なのになんでいちいち覚えているのだろう。無駄なのに。
この小説のなかに出てくる一匹の猿の様子はヨガで説かれる幸福への視点と似ていて、その知性を得るための方法は自分で見つけるもの。そこが描かれていてよかった。