うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

断罪的になる心の性向を「みぎわ化」と呼んでアンガー・マネジメントをしている

少し前に「今日もほんとうのことが話せてしあわせ」というのを書きましたが、あれはヨガの先生バージョン。今日は日常バージョンです。
わたしが友人と話した近ごろのトピックの結論に、こんなのがありました。

 


 花沢さんはセーフ。みぎわさんはアウト。
 だから花沢寄りでふんばろう。

 (持ち株でいったら51%は花沢さんに持たせておく)

 

 

同じ風紀委員的女子でも、「よくしたい」というアクションにおいて花沢さんは快活だけど、みぎわさんのように「あなたがこうしないからいけない。どうせあなたは◯◯と思っているのでしょう」となってしまうと、断罪と類推と妄想の泥団子状態。常に気をつけていないと、仕事への責任感を盾にうっかりそっち寄りになるよねという話をしました。
5:5から1%でもみぎわさんに寄ってしまえばヒステリーとみなす材料を与えてしまう。だれに?


いやそれ日曜の18時台の小学生女子の話でしょ! とあなどっていると、それどころじゃないことが現実に起きている。のん気に構えてもいられない。
16歳の少女が地球温暖化の問題を訴えるとき、みぎわさんかということになったとたんに大人たちからものすごい言われよう。16歳でもあそこまでやられる。


アンガー・マネジメントの精度が求められている。私憤を義憤に乗せていませんかというツッコミの余地を与えないプレゼン、態度が求められている。10代ですでにそこまでできないとバッシングを受けるのだから、おばちゃんとなればハードルはさらにガツーンと上がります。


でも、心はいつも揺れ動く。そんなときは「わたしは花沢さんわたしは花沢さんわたしは花沢さんわたしは花沢さん」マントラのように心の中で唱え、ちょっとダミ声で「いそのくーん。なにやってるのよー」と言ってみる。もちろん脳内で。

 


「いそのくーん。なにやってるのよー」
「いそのくーん。なにやってるのよー」
「いそのくーん。なにやってるのよー」

 


シャーンティ3回唱えます
アンガー・マネジメントの方法が、わたしの中で日々具体的に進化しています。