うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

少年 谷崎潤一郎 著


こらあかんやろ。Urinて英語にしたらOK思っとるんか。OKちゃうやろ。
と、関西弁が使えないわたしが関西弁を使わせてもらえるならという前提でなら、思いっきりつっこめる。
通常の自分の言葉だけでは感想を述べようのないエピソードだらけの物語。


具体的につっこんだらネタバレになってしまう。困ったな…。この作家の作品は、いつも感想が書きにくい。しょうがない。ここは自己をさらけ出すしかない。いやだな。今日のやつは、かなり恥ずかしいタイプの案件。だけど、しょうがない。


わたしは、たまに人の手を踏みます。もちろん裸足です。少しばかり特殊な仕事をしています。
踏まれる人は、ゴムや麻のマットの上でまるで雑巾がけをするように手を肩幅に床につき、尻は高く持ち上げ、足も肩幅。マットを前後に押し広げるかのような体勢になっている。そんな状態の人の手を、わたしはたまに手のよい状態を固定するために踏むことがあります。踏みながら、背骨を伸ばしたり、耳と肩の間を広げたりする、そういうことをすることもある、少しばかり特殊な仕事をしています。
相手は、わたしが人を踏んだりすることが趣味でないことをわかっています。合意の上です。手を踏まれることの意味を理解しています。手が浮いてはいけないからです。手首に近いあたりの手が浮いてしまうと、「縛り」が解けてしまうから。これは隠語ではなく専門用語のようなもので、バンダといっています。bondageと同じルーツという説のある語です。あらいけない。こんな書きかたをするから、さらに誤解を与えてしまう。


この小説は、わたしの仕事とはわけがちがいます。事前の合意がないまま行きます。目的の共有もないまま勢いで突き進みます。



「ありか?」「うーん、ありかな…」
「なしじゃないよな」「なしってことは、まぁないですね」
「こんくらいも、まあ、ありっちゃありよな」「うーん、ありっちゃ、ありですかね…。なんなら、もっと強くても…」


  え? そ、そうなるの?
  そっちに加速する?



大人同士の話であれば、もしかしたら微妙な境界を紐解いていくような話かもしれないのですが、この人たち、子どもなんですよね。子どもじゃないか!
どうなの谷崎さん。


Kindle

少年
少年
posted with amazlet at 18.05.14
(2016-07-28)