先日久しぶりに同世代の知人に会いました。何年も知り合いだったけど、彼女から設定された時間に落ちあって、しばしお茶べり。インストラクターやセラピストの資格がある人から「わたし、こんなことができると思うの」という話を聞くことが増えている。「思いは言語化して、人に渡せるように可視化しないとなにも始まらないよ」といって終わることも多い。
今回もそうだと思っていたのだけど、まえに「サイバラの部屋」で読んだ深津絵里×西原理恵子対談の「友情の膨らみは、お互い自立して強くならないと出せない」というのを読んでいろいろなことがスッキリしていたので、テキトーな気持ちで話を聞いていた。
久しぶりに会った彼女は、行動を始めていた。
よくある
「うちこちゃんはインターネットに詳しいから教えて」
ではなく
「うちこちゃんは文章とか説明とか、そういう能力ありきだもの。わたしはそれはないけど、こんなことがしたいの。これまで会っていない間にこんなことをしてきてね、で、場所はここで、ああでこうで……。」と説明してくれる。
そして「絵を描くとか、そういうのはできたらもう自分でやってるっちゅー話なの〜!」と。かなり具体的である。
いいねぇ。応援したくなる。
「あなたいま、何年も寝かせていた友情の種を土に入れて持ってきて、目の前で水をかけたわね!」と思いました。
ふと、まえに読んだ「釈迦に説法」という本の33ページにあった
周囲の冷淡さを非難する前に、自分が心から「助けて」と言ったかどうか、そちらのほうを先に気にすべきだと思う。
という言葉を思い出した。
今日の女性の話は深刻な話ではなかったけど、ゆるい相談でも「心から」の矢印の鋭さや太さには違いがある。
心をこめることがだいじで、勉強しているかどうかはその次。というか、あたりまえ。
相談を受けながらこんなにいい気持ちにさせてもらったのは、初めての経験。
ちょっとしたデザインを承った。はりきってのぞむ!