うちこのヨガ日記

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カトク 過重労働撲滅特別対策班  新庄耕 著

自分の経験を振り返るには一定の醸成期間が必要なのだなと、この作家の本を読むたびに思います。先日読んだ「狭小邸宅」にあった登場人物の心理描写のいくつかが気になって、2018年に出版されたこの本も読んでみました。わたしもかつて、数字を追いかける仕事で夜遅くまで働いていたことがありました。

 
この小説は、深夜残業や無茶な労働が社風や企業文化として根付いている組織に切り込んでいく「過重労働撲滅特別対策班」のメンバーと、主人公の過去と調査対象者のからみで話が進んでいく、ちょっと刑事ドラマっぽい物語です。
そんなに遠くない業種にかかわってきたOLの視点で読めば、これは電通をベースにしつつ社名に博報堂ADKも混ぜて業界全体の慣習を書こうとしているのかなとか、このIT企業の問題はDeNAパレットを下敷きにしているのかな…とか、笑えないパロディのように読めたりもする。


そんなに重要じゃないとわかっていながら対応してしまう感覚や、空白を空白のままにしておくことができずに目先の業務に逃げるメンタルの描写には、ふわっとなつかしみの感情が起こります。

たぶん、行き先は元から存在しない。行き先など必要としていなかった。いたるところ穴だらけで、際限なく激しい振動を繰り返す、社会という揺り籠から振り落とされなければどこだってかまわなかった。目の前にあるものに必死でしがみついていれば、いずれは、しかるべき場所にたどり着いているにちがいなかった。

(本気の味 4より)

いまとなってみれば「振り落とされなければどこだってかまわない」という盲目さを落ち着いて見ることができるけれど、20代・30代の頃はこういう性質をもっていないとある程度のところまですらもいけなかったんじゃないか。そんなふうに思うこともあります。「目の前にあるものに必死でしがみついてもダメなときはダメ」を受け入れる方法は自分で開発するしかないのだけど、その開発の必要性を、わたしの場合はいっかいハマってみないとだめだったのかもしれない。経験せずに学べることってあるんだろうか。

 


この小説はブラックな構造を生む思考の根っこに迫っている要素があって、わたしはこの部分が読めてすごく勉強になりました。ああこういうことか・・・、と思ったりして。

ブラックな労働環境を生み出した人物の自分史と習慣が以下のように描かれています。

 一時はベトナム反戦運動に加わったりしたものの、いくつもの違和感から全共闘ほどには熱中することができず、かといってまったく無縁でいることもできず、その日暮らしのアルバイトをつづけていたが、転機となったのは日本赤軍の一連のテロや連合赤軍による凄惨な内ゲバだった。
「あれで目が覚めました。こんなことをしていてはダメだ、とようやく気づいたんです。そして私は、資本主義を否定することで世の中を豊かにするのではなくて、資本主義を肯定する、誤解を恐れずにいえば資本主義を積極的に利用することで世の中を豊かにしよう、残りの自分の人生をすべて賭けようと思い立ったのです」

(化物が眠るとき 3より)

 丹田を意識し、息をととのえていく。乱れた自身の呼吸音が耳朶をふさぎ、それに重なるように庭の方から鳥のさえずりが断続的に聞こえてくる。自宅に隣接する女子大学のキャンパスもこの時間はまだ人気はなく、都心とは思えぬほどの静謐が道場をつつんでいた。
(化物が眠るとき 5より)

この登場人物は有名な創業者を想起させるキャラクター設定で、日課として木刀の素振りをして黙想をします。この時代の人が持つ経験哲学って、よくよく掘り下げてみる必要があるよな…、と思うことがわたしにはよくあります。そういう意味で、この人物設定が興味深かったです。
それにしても、この場面で知った「耳朶(じだ)」という古めかしい響きは、妙に雰囲気があってよいです。それまでなんとなく渡邉美樹ふうの人物? と思いながら読んでいたのが、稲森和夫? というふうに、想起するイメージが変わりました。

 

時代ごとに仕事観は変わります。林芙美子の小説の時代は一般人がさくっとヒロポンを投入して「元気出しこ」と働いていたようだし、時代の異質さを見はじめたらきりがない。

わたしは仕事を「労働」と「お金をもらえる信仰(忠誠心を売る)」に分けて考えるようになってから自分で自分を滅ぼさない方法を少しずつ探れるようになったけれど、それまで20年くらいかかりました。いまも探っている最中と言えば最中なのだけど、探らない方法を探すことに逃げる、ということはしなくなりました。「割り切る」というのは行動要因を説明するのに便利すぎる言葉なので、少しずつ考えようとするようになりました。行動要因て、説明できないものだと思うから。

この小説はその中間プロセスを振り返らせてくれます。

 

カトク 過重労働撲滅特別対策班 (文春文庫)

カトク 過重労働撲滅特別対策班 (文春文庫)

  • 作者:耕, 新庄
  • 発売日: 2018/07/10
  • メディア: 文庫

 

 

▼ヨガをしている人には、きっとこれがおもしろいです。