うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

危険なメソッド(映画)

ここしばらくザビーナ・シュピールラインに関する本を読んでいました。映画を観たくて、予習のために読みました。映画の原題は「A Dangerous Method」(そのまんまね)で、日本では2012年に公開されています。当時は知りませんでした。
精神分析の黎明期の歴史・人物史映画なので、物語としてネタはバレているもの。であれば少し知っていたほうがおもしろいだろうというわけで予習をしました。この映画は元ネタを知れば知るほど映像を観て確認したくなる、そして確認しては「うまい!」「ここでちゃんとそのこと言ってる!」といろいろ発見しては何度も唸る。映画ってものすごく勉強になるもんなのね…という感想を抱きました。


精神医学者同士の会話というのは、まあどうにも細かい。精神分析療法と言うか心理分析療法と言うか、その言葉選びだけでスタンスが分かれる。学者たちは会っていない時もたくさん文通をしており、その書簡も残っています。この映画は、そんなあれこれを交通整理して負担なく見せてくれる。

まあどうにもこの関係性をよく90分のなかで構成したものだなと、その仕事の細密さにとにかく驚くばかりですが、セリフ以外のところにもちゃんと根拠がちりばめられていて、何度見ても発見がある。本だけでは想像できなかった部分が、映像によっていっきに補充されました。

 

とくにフロイトユングの経済状況の差、宗教観を学問に持ち込む際のリスクの見かた(ユングはドイツ系プロテスタントで、フロイトとザビーナはユダヤ系)について、調度品や食事、さりげない会話を通じて自然に理解できるようになっているのがすばらしい。
これはどうにも脚本がすごいよな…と思ったら、先に同じ脚本家による舞台「The Talking Cure」があるのだそう。そこに映像と音楽で情報が補強されたとなれば、映画版は格段に説明力が上がるわけだと納得しました。

 

フロイトユングですが、わたしの場合はユングのほうを先に知りました。2013年に河合隼雄さんの本を読んだのが最初で、そのことをブログに書いたら友人が別の本を貸してくれて、そんなこんなで大人になってからの学びのスタートはユング寄り。
・・・だったのですが、今年の6月にインドの先生から受けたレクチャーにフロイトカール・ロジャースの名前が何度か出てきて、それはヨーガをセラピーとして心理学的視点で説く授業だったのですが、心理学がまた気になり始めました。
その後、真夏の眠れない夜にたまたま読んだ「私の消滅」という小説にもフロイトユングの話が出てきて、ネットで調べているうちにこの映画にたどり着きました。

危険なメソッド(字幕版)

危険なメソッド(字幕版)

  • 発売日: 2017/06/23
  • メディア: Prime Video

専門的なことは精神医学や心理学の専門家の人がたくさん語っていると思うのだけど、わたしは特に以下のことが映画ならではの表現だなと思いながら観ました。今日はそのことについて書きます。

 

(もし今後この映画を観ようと思っていて、その後で感想を照らし合わせたい人は、今日のところは読むのはここまでにしておきましょう。そもそも伝記なのでストーリーについてのネタバレはないのですが、各登場人物の性格についてのわたしの類推や見かたを書きますので、そこはひとまず一人で映画を観て各自が見立てをしたほうが楽しみが多くなるかと思います)

 

だいじょぶ?

書きますよ。

 

 

社会への適応を重視するフロイトと、魂の救済を重視するユング

わたしがこの映画を観てとても勉強になった点は、神秘思想を取り入れようとしたユングフロイトが制止しようとした様子がありありと感じられるところでした。ユングがラップ現象(外在化現象)に目をらんらんとさせている間に、やれやれという顔をしているフロイト。この対比が描かれる場面があります。
ザビーナを媒介にこの二人の学説を見ていくと、広く再現性を重視するフロイトの科学的視点は、魂の深いところから救おうとするユングの聖者的視点よりも「知を技術として体系化して残す」という面で先を見ているように思えます。神経症自体は問題ではないと言い、あくまで社会のなかで生きていけることをゴールに設定しているフロイトの意向がわかる。
わたしはヨガを始めて8年近くなる頃にユングを知り、スピリチュアルかぶれだった当時はすごい心理学者だと思いました。それが15年以上をヨガを続けて、広く再現性を考えずに人間の心を探求しようとする態度はどこか虚しいということに気がつきました。なので今はフロイトのスタンスにも偉大さを感じる。

家族を食べさせていくことに困らなかった(妻が資産家の)ユングと、社会の中で新たな学問を打ち立てていこうとしたフロイト。商人の息子であったフロイトと牧師の息子であったユング。この対比を見せられることで、まるで神のように振る舞いそうな気配のある当時のユングに対して、少し懐疑的な気持ちが湧き上がりました。(この映画で描かれた、当時のユングに対してです)
双方の根本的な考え方の違いについてはザビーナがユングへ宛てた手紙で要点を簡潔に指摘しており、この映画が示しているポイントの理解を助けてくれました。(参考:こちらの140ページの引用紹介部分

 

 

ユングの「影響されやすい性格」「説得されることを恐れる性格」がよくわかる

最初の頃にザビーナが兵役について「時間の無駄」という言い方をしたのを聞いてそのフレーズを別のところですぐに使っていたり、フロイトとはじめて会った後にもその説得力を恐れる発言をし、グロスという人物と話した後にも同じことを言っています。
他人の発言を聞いて「そうかも」と思うとすぐに真似して行使する性格を自認していたという人物設定になっている。

これには根拠がなくもない。発見されたザビーナが自分の日記に「彼はわたしの考えをそのまんまパクるんじゃないかしら」ということを書いていることや、文通していても自分が送ったものをお願いだから送り返してほしいと書いている。こういうユングの性質を細かなところに織り込んでいるように見えました。
そして、ずるさを認めてしまうとメンタルを病むという設定にもなっているように見えました。この映画ではユングが病む直前くらいまでが描かれていますが、そのまえに「認めるよ。私は俗物でブルジョアの卑怯者に過ぎない」と言っています。俗物であること単体でならセーフでも、それに "ブルジョアの"という要素がかかるとブルジョアでいられる背景にそもそも妻の資産があるため、本人が認めることのダメージはかなりのもの。
この映画のよいところは妻・エンマの人物描写もしっかりされていることで、ユングはプライドが高くてもその気高さにオリジナルな後ろ盾はなく(妻の支援ありき)、自然さを伴った聖人とは言えないことを自分でもわかっている。エンマとの暮らしの描写や対話のなかにその背景が織り込まれているように見えました。

 

 

フロイトの立場・威厳・リーダーシップを描きつつ、ツッコミどころも逃さない

全体を通じて、フロイトは根拠をなんでも性欲に結び付けすぎということがしつこく描かれ、肛門の話をクスっと喜んだり女性を色情症として雑に片づけたがったり、とにかく「そういう人だった」という設定にいったん固定し、そこはユーモラスな要素として描かれています。
そのうえで、学問を推進するリーダーの判断・視点を描いているのがこの映画を深く楽しませてくれます。立場ゆえの高ストレスで、画面に映っているあいだじゅうずっと葉巻を吸っていること、グロスという人物について「麻薬依存症とは知らなかった」というセリフ(フロイトはコカインを推奨していた時期があった)、自分の夢について威厳を守るために「話さない」という判断をすることなど、こういう描写がいちいちおもしろい。

そして自身の矛盾を認めつつも立場や学問を守る意志をその都度相手にしっかり伝えていて、最終的に強くて信頼のおける人物像・父性の象徴として映る。
矛盾を認めるときの言葉やその前後のふるまいには、偉大な立場を築き上げる人というのはこう話すものかというTIPS集のよう。ザビーナに対する「私の考えは君の主張と違うが テーマを刺激してくれて感謝する」というセリフの設定は本当にうまくて、こういうふうに振る舞っておけば敵を増やさずにあとでパクれるもんなー、うまいなー、やるなこのジジイ。と思いながら観ました。

 

 

純白とオフホワイト、衣服で二人の女性の立場を細かく描写

この映画は、クラシック音楽に詳しい人であればワーグナーの使い方で語りたいことがあるだろうし、フロイト傘下の心理学者に詳しい人であればあの人はこういう人で…、と語りたくなるだろうと思います。
そんななかわたしは、妻・エンマと愛人・ザビーナの各場面の衣服で示される対比がほんとうによくできていると思いながら観ました。
妊娠・出産の時期が複数あり基本的に家にいるエンマは常に純白のひらひらした服を着ていて、ユングと二人でフロイトの家へ行くときも、お金持ちの奥様がやってきたとばかりにその白さとひらひらが浮き立ちます。そのエンマがユングの病院へ治験の手伝いに来るときはオフホワイトとピンクベージュの妊婦服を着て来る。とにかく「妻」として振る舞う場所では純白とひらひらが全開です。
ザビーナは患者の時から純白ではなくオフホワイトかベージュの服を着ていますが、その時点でレースの作りは凝っており、彼女もお金持ちのお嬢様であることがわかります。ひらひらしていないけれどもレースは繊細に縫い込まれ、スタンスの違いを見せている。ザビーナが博士として活躍し始めていく頃にはその上にジャケットも着てばっちり決まって、才女っぷりを素敵に見せています。
これは髪型にも言えることで、エンマは見事な黒柳徹子的タマネギ頭。ザビーナは学生時代は三つ編みで、論文を書くころには平たいタマネギ。帽子のつばも、ザビーナは少し機能に配慮したものを身に着けている。
それが、最後の最後でザビーナが妊婦としてやってきた場面ではホワイトの色が完全に逆転します。エンマがキャリア・ウーマンへの一歩を歩みだしつつある状況がうかがえる。この、ザビーナがホワイトでエンマがオフホワイトになる対比は、気づいたときに「おおっ!」となりました。

 


この映画全体を通してみて思うのは、登場人物をかなり絞り込んで見せつつ、エンマがなにげに重要な解説を担っているということ。オットー・グロスは正直きもちわるく、うげぇとなりました。やだー、もー、きもちわるいわー。としかならない。

ザビーナに「天使はドイツ語を話すものさ」といきなり暗示をかけるユングと、「アーリア人を信じるな」というフロイト。このあたりの対比はナチスによるユダヤ人迫害のと絡めて学ばないと理解が追い付かないかもしれませんが、まあどうにも細かいところまで情報が揃っています。ユングの息子を欲して執着するエンマとザビーナのスタンスの対比の見せかたも現代的だし(息子の件は少し要約アレンジしてある)、ほんとうによくできている。

 

そして・・・

ここまで書いておいて言うのもなんですが、この映画のユングは二度目に観ると登場した瞬間に「キャー☆ユング先生!」という気持ちになるくらい魅力的です。酷いところを全部見せられたうえで、です。こんな呪いならまぁかけられてもええかな、みたいな気持ちになる。「解除」されたくなる。なっちゃうのよねぇこれ。どうしたものか。

浮世離れしたおしゃれさと立ち振る舞いから、妙なカリスマ性を持った人であることが、なんかわかるんですよね…。そこが、この映画のいちばんすごいところかもしれません。

 

危険なメソッド(字幕版)

危険なメソッド(字幕版)

  • 発売日: 2017/06/23
  • メディア: Prime Video

真ん中がザビーナで、左がフロイト、右がユングです。