うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

ヒトラーがガンガーに入ったら

ここしばらく何度か、インドでのコロナ感染拡大のニュースが目に入り、問題として引き合いに出されている祭事の写真を見ていたら、ガンジス川と信仰について旅先でおしゃべりしたときのことを思い出しました。

 


その祭事(クンブメーラ)で人が集まるハリドワールという街は、ニューデリーからリシケシへ行く際、そこを越えないと到着できない位置にあります。渋滞になるのが明らかな時はピークを過ぎるまで通行止になるため事前に交通事情を確認しておく、そういう小都市。
先月インドのRさんがチャットで「クンブメーラでたくさん人が来ている」と言っていて、そういえばRさんは前にこんなことを話していました。

 


 ヒトラーがガンガーに入って
 罪が清められることになるというのなら、笑わせるよなぁ
 ガッハッハ〜

 


Rさんというのは話せば長くなるのですが、出会いは国際ロマンス詐欺のようなもの。それについては2年前に書きました
町の車のナンバープレートを見て「UKというのはウッタラーカンド(州)の略ですか?」と尋ねると「当たり前じゃないか。United Kingdam じゃないぞぉ〜」と返してくるような、端的に言うと面白オジサン(30代でこのセンス。昭和の香りのインド人)。

油断するとまるで前前前世から相思相愛であったかのように設定を組み立て、つっこむタイミングを与えないほど甘い会話の連続で送金を依頼してくるため注意が必要です。

それはそれで、話の運びがまた勉強になったりもするのですけど。

・・・って、なんの話でしたっけ。

 


そう、今日はわりとシリアスな話題のはずでした。

わたしはこのスーパースプレッダーイベントとよばれたニュース記事を見ながら、伝統と帰属意識と功徳の概念ががっちり組み合わさることで成り立つ、止められない何かについて考えていたのでした。
これは、その昔ハラキリを外国人が理解しずらかった感覚と似ているのではないか。わたしが日本人でなければ、ノーベル文学賞を期待されていた MISHIMA がハラキリ? この時代に? あれはサムライのハラキリとは違うの? と感じただろうし、表面上は同じ行為に見えてもその意味も物語も個人のものだと想像するには時間がかかる。

 


「こうでなければ生きた心地がしない」という感覚は文化や風習を維持する原動力で、わたしは正直、それを羨ましくも思います。おおっぴらには言えませんけどね。