うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

本音が聞こえてこない世界で

昨年から世の中が変わって以来、戦時中や戦後すぐの時代の本や映画を観る機会が増えています。
生活上の長い抑制状態を以前よりも具体的にイメージできるようになり、当時のセリフを身近に感じやすくなっています。


だいたい、ヨガクラスの開催告知が闇米を売る感覚になるなんて、2年前には想像すらしていませんでしたからね。この闇米屋感覚(あくまで、感覚)を、わたしはどう捉えればいいのか。

いっぽうで、仕事ではわたしの職種は対象外だろうと思っていたリモートワークが実現するという、急なちゃぶ台返しも起きている。職場の人と今日は雷がすごいですねと話しながら「すみません、ちょっと窓閉めてきます」と中座できるなんて、これまで想像もしていませんでした。

 

インドで気性を乱した牛がレストランに突っ込んで、客が全員キッチンへ避難する ━━ そんな、旅行中に経験した自然対応のようなことをするのがとても不思議。この国はそういう仕組みで回ることのない、箱で管理する社会が当たり前だと思っていたから。


自然と共存する考え方を、せめてマインドだけでも日本にいながら実現したい。そんなふうに考えてヨガを学んできたわたしに、いきなり外部要因が状況を覆してきました。

今までが異常だったのか、今が異常なのか、そもそも異常とは。「異常」を「幸せ」に置き換えてもまったく同じように混乱します。

 

 
  不安といえば不安で、呑気といえば呑気

 

 

混乱の中で戸惑っているからこそ、戦中戦後の話が妙に刺さる。
なかでも小津安二郎監督の映画は気軽に観られて、視覚も聴覚も楽しみながら異世界へ連れ出してくれます。
モノクロ時代の作品映画には戦争時代への振り返りも多く、「あの時、自分も渦中にいたけれど」と、それぞれが消化しきない感情を抱えていることがわかります。各自が導き出した思想を、粋な日本語で投げかけてくれる。

 

 

本音が聞こえてこない状況というのは悪でも弱でも思考停止でも日和見でもなく、思いやりも含めてバランスしている状態でもあるんだよなと、近頃そんなことを思います。
生きていると、いろんな思考の経験をするものですね。