うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

転変と展変、瞑想と冥想。文字を選択するときに考えること

数年前に夏目漱石の小説にハマった頃の理由のひとつに「瞑想と冥想の書き分けをしている」というのがありました。気づいたときにはかなりゾクッとしました。こういうゾクッが生きていることの愉しみだと思っています。

 


先日、確認したいことがあって久しぶりに佐保田鶴治先生の訳本を読んでいたら、parinama の漢字を「展変」としていて、そういえばそこもそうだなと気づきました。「転変」と「展変」の境界にも、インド思想のニュアンスが凝縮されている。
気になったので、どれどれと他の先生の訳を見てみると、なんとじょうずに「転変」という文字列を避けているものもある。たしかにここは「展変」のほうが精確ともいえる。

佐保田先生はけっこう強引な当て字をすると思っていたけれど、この場合は名人芸に近く見えます。思想を憑依させる能力という点でいうと、たくさんいるモノマネのプロの中でも清水ミチコさんのような、よくよく聴くと声の完全コピー度はそうでもないのだけど、「この人こんなこと言いそう」という感じを格別に拾っている。
でも日本語・漢字の使い方としては「展変」は常用される漢字ではないから「正しくない」ということになる。「正しさ」が好きな人にはツッコミどころにもなったりするのだろう。

表音文字表意文字に訳すときは、こういうことがとても多いです。

 

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