ふだんの生活の何倍もの頻度で「だまされたのか」という状況認識が起こるインド。
それで疲弊するのが定常化すると、体力を温存するために疑うことがベースになってしまう。楽しくない。でも、楽しくなるのはそこからかもしれない。それにしても、ここまでくるのが大変。そらぁもう大変だった。
「だまされたのか」という状況認識の瞬間は、なんだかもうガックシだ。そこでコミュニケーションをとる道を選ぶか、心のなかで毒づいて忘れようとするか、忘れられずにやさぐれるか。今回の旅ではコミュニケーションの道を選べたことが何度かあり、相手から「ゆるしてほしい」と言われたことがありました。
わたしから10万円を引き出すために、根気よくわたしの正直な言葉に向き合おうとする人に出会ったのでした。10万円を得るのはそんなに簡単ではないと、あの人はどのタイミングで判断したのだろう。
わたしはあなたを疑っています
わたしはあなたを恐れています
わたしは、あなたの言うとおりにすることを楽しめない
10万円は、わたしには大金です。わたしは金持ちではない
伝えるときはこのように口にします。同じことを何度も言わせるな!と思っていても、わたしは英語でうまくキレることができない。それでも「あなたのことを信頼したいと思っている」という意志表明をわりと早い段階でできるようになってから、疑いも伝えられるようになった気がします。情に訴えかけてくるやり方の人が相手だとかなりしんどいので、こちらも情のカードをきっておく。自分でもいやらしいと感じる手法だけれど、これをいやらしいと感じること自体がいやらしいのかもしれないとも思う。
今回はこの種のやりとりでインド人から強い口調で怒られることがなく、それは運が良かったのかわたしのコミュニケーション力が上がったのかインド全体に経済的余裕が出てきたからなのかわからない。
以前よりも態度を保留できるようになってきたのかな…。わたしが。
いま目の前にいるこの人は、
わたしからお金を引き出そうとしているけれど、
楽しませようともしていた。
「カモにされた」「こいつならいけるだろと思われてる」と単純化した思考処理をしない努力をはじめてから、疑いの気持ちを口にできるようになってきました。
あとになって「あのとき、そういう気持ちが起こった。ゆるしてほしい。また話がしたい」といわれたとき、わたしのなかで電子音が鳴りました。
テテテッテンテッテーン☆
うちこ は こころをこめたこうしょうりょく を てにいれた
これはレベルアップなのだろうか。いや、むしろ危機管理能力の低下ではないか。あとになって対人交渉に慣れた頃に壮大な騙しに遭ったりするかもしれない。自分への疑いが止まらない。この疲労は、心の筋肉痛。毎回疲れるのだけど、練習を重ねると力がついてくるのだからおそろしい。
ちなみに「また話がしたい」と言ってきた人からは、数日後に「5万円貸してほしい」と言われ、結局その話か!となった。すごいガッツ。話しながら「金額の話だけじゃないんですよ…、まだ出会って数日じゃないですか」と、さらにヒントを与えてしまった。
詐欺師というのは、相手をコントロールするための自己犠牲をそのように見せない技術を持った人。そういう視点で見ると、この人技術あるなぁ経験豊富だな…となる。詐欺の先進国はすごい。
今回リシケシで感じたことは、治安がよいとされていたこの地域でも、トークや手口が進化していること。事前に以下を読んでから行きましょう。今回は暑いからチャイをすすめられても断ったけど、睡眠薬を使われたらひとたまりもない。
余談:
これはガンジス川沿いの露店で売っているジャガイモのスナック。食べている途中からお腹が痛くなる。露店のスパイス・フードへの適応力をつけるのも、押し売りやお金の無心対応と同じくらい大変です。