うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

悪意の心理学 - 悪口、嘘、ヘイト・スピーチ 岡本真一郎 著

ここ数年で小説が読めるようになって、そして映画なども観るようになって、よかったなぁとしみじみ思うことがあります。他人を陥れることのない雑談ができるから。以前は非現実に意味を見出せず、物語を追うことが自分自身と対話する練習になるということがわかっていませんでした。作り話に意味がないと思いながら、ちゃっかりスピリチュアルな聖者の物語なんかは盛んに読んでいたりして、自分はきっと大丈夫、きっと選ばれると思えるものを追い求めるような、そういう不安定さを抱えていました。この不安定さはどこからきていたのか。その理由のひとつとして、「ザ☆大衆」とでもいうような存在がこわかったのだということに今年になってから気がつきました。

わたしは、あいまいな語尾で自身のスタンスを隠したまま情報収集をするというやりかたを無意識レベルでじょうずにやる人とのコミュニケーションが苦手です。はじめて勤めた会社で、新卒社員に声をかけることで社内情報を集める人がいました。話しかけられてうれしくて答えると誰かに迷惑をかけてしまうということを、後になって知りました。

いまは「なんで突然そんなこと聞くの?」という質問は自然に警戒します。社会人になって20年が過ぎマイルドなネット監視社会がやってきて、若き日から培ってきた警戒心がとても役に立つ世の中になってしまいました。そんなことを日常的に考えるようになっていた頃、今年の2月に「はてなアノニマスダイアリー」で以下の日記を読み、そう! それ! とうなずきました。匿名のどなたかが書いてくださった日記です。

 

前置きが長くなりましたが、今年はそんな流れから何冊か「うわさ話」「ゴシップ」についての本を立て続けに読みました。なかでもこの本の著者・岡本真一郎さんの書かれていることが、わたしが今まさに確認しておきたいことでした。
この本にあった「誤誘導」は、上記のリンク先のような例とは違いますが、マイルドめな悪意という点で似ています。

 悪質な商法などにも誤誘導は用いられる。消火器の販売で「消防署のほうから来ました」と言って、消防署員だと思わせるのは、その一例である。
(第6章 嘘をつく ── 突破の手がかりは? 嘘と関連する概念 より)

消防署がなんの用だよと思うけれども隣で不審火があったといわれるかもしれないし…、なんてことまで考えて、わたしは簡単にドアを開けてしまいそう。携帯にSMSメールで来る佐川急便やアマゾンを名乗る「連絡求む」の詐欺もおなじ手口です。関係していないのにすでに関係しているかのような設定でくる。


この本では、敬語以外の規範として「関与権限」(情報のなわ張り)についても書かれていて、そう!まさに探していたのはその話!と思いながら読みました。
さもすでに知っているかのような口調で「そういえば、○○なんだって?」「○○って、○○なんでしょ?」と聞かれて答えたことが、実は順序だてて話されるべきことである、という場面はとても多くあります。わたしの怒りの理由は、開放的であったりほのぼのとした雰囲気づくりが成された状況で「関与権限」を犯されたこと。若さだけでなく不安までも利用されたこと。ちょっと聞きたいんだけどさ、という前置きからの廊下の影での立ち話であれば喋らなかったのにな…、という後悔からの怒り。


これまではなんだか悲しさや悔しさが先に立ってしまって掘り下げてみようと思っていなかったのだけど、これからは自分が間違って若い人に喋らせてしまいかねない、もうそちら側のことに気を配らなければならない年齢です。一度立ち止まってみてよかった。いろいろ想像がつくことを黙って見守るって、けっこう大変です。ついつい手助けをするやさしいおばさんを演じたくなっちゃったりするのだけど、実際それをやると、めちゃくちゃいろんな情報が入ってきちゃうんですよね…。それが想像の材料になってしまう。

 

誤誘導というのはヨガの話をする場面でも、かなり気をつけなければいけないことです。特に大人同士の関係では、なにかのせいにする理由を探している人に流行りのワードを与えないというのは、なにげに大切なことと思っています。カルトのはじまりもこの手法じゃないかと思うのです。終末論や陰謀論、実は○○なんですってという話もね。

悪意の心理学 - 悪口、嘘、ヘイト・スピーチ (中公新書)

悪意の心理学 - 悪口、嘘、ヘイト・スピーチ (中公新書)