うちこのヨガ日記

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謙虚なコンサルティング ― クライアントにとって「本当の支援」とは何か エドガー・H・シャイン 著 / 金井壽宏 監訳 / 野津智子 訳


サブタイトルに惹かれた本です。読んでみたら「出しゃばらない。でも突き放さないコンサルティング」と思う内容でした。
わたしはコンサルタントでもないのに知人が経営する会社の会議に参加することになる…という展開になったことが過去に何度か(何社か)あって、自分なりに知人の意向も考えて役に立ちたいとは思うものの、できたことといえば会議の場で聞かれたことに答えただけ。成果はありません。マスコットみたいなもの。それでもまた呼んでいいかと言われ、そのたびにモヤモヤします。
昨年もそんなことがあって、その頃書店で目にしたのがこの本でした。


わたしの場合、特に成果がないことは気にならないのだけど、でも知人がそういう心理状態に至ることについては、心配という意味で関心があります。相手は元上司であったりクライアントであったりするので、同士愛というのはおこがましいのですが。
──と、ここまで書いたような、この本はまさにそんな人間関係の部分を掘り下げた内容でした。
なかでも、以下の点に深くうなずきました。

問題点がはっきりしていて技術で解決できる場合はうまく果たせるかもしれないが、だんだんよい結果を生まなくなってきている。「問題」が何であるかが曖昧で、どんなことをすれば役に立つのか、支援者がわからなくなてきているためである。(P49)


「人間関係」とは、過去の付き合いに基づいた、互いの未来の行動についての、一連の相互期待のことである。(P65)


コンサルタントは、共感することは必要だが、内容の誘惑は追い払わなければならない。コンサルタントは外部関係者であり、クライアントの文化のなかでうまくいくことといかないことを、内部関係者のように直接知っているわけではないのだから。(P273)

わたしはよい人間関係の状態を「共同幻想が成立している状態」というふうに自分なりに定義していたので、コンサルタントの人が「互いの未来の行動についての、一連の相互期待」とおっしゃるのはストンと腹に落ちます。



以下は、グループと関わるさまざまな場面で思うことと重なり、「そう! それ!」となりました。(チバガイギーというのは企業名です)

主に「内容の専門家」としてチバガイギーに協力することは受け容れてもらえたが、文化についての講演では、私はいつのまにか「医者」の役割へと転じ、組織について診断を行っていた。それは、彼らが慣れているのとは違う介入であり、組織のさまざまなメンバーからさまざまな反応が起きることになった。
私は心に誓った。今後、文化が関連するときは必ず、内部の人たちがみずからを診断できるように手を貸すことにしよう。クライアントである組織に、その文化について話すなどという過ちは二度と犯すまい、と。
(P222 5 パーソナライゼーション──レベル2の関係を深める Case10の学び より)

その文化圏にいないとつい評論家のようなスタンスで話してしまいやすいけど(そこしか居場所がない感じになる)、でもそうなっては絶対にいけないゾーンってのが、ある…。



以下は、他人になにかを伝えるための要旨を整理することができない人を見ていると、わたしも同じようなことを感じる。

問題が複雑で厄介になるにつれ、「何が問題なのか」や「本当の懸念は何か」「どこを変えればいいのか」を突きとめるそのこと自体も、複雑で厄介になる。にもかかわらず、事態をきちんと把握したいという心理的欲求によって、事実をねじ曲げるほどに事が単純化されてしまっている。つまり、「根本原因を知り」、「問題を突きとめて対処する」ことで前進している気になり、「何をすればいいかわかっている」という安心感を得ようとしてしまっている。しかしながら、明瞭な理解というのは、どうすべきかわからないと認めて初めて得られるものだ。
(P299 7 新らしいタイプのアダプティブ・ムーヴ Case24の学び より)

これまで事実をねじ曲げてまでコトを単純化しようとする人のパターンをたくさん見てきたけれど、まさにこんな心理状態なのかもしれない。「明瞭な理解というのは、どうすべきかわからないと認めて初めて得られるものだ。」というのは、短いながら、まさにそうでしかないと思うような要約。心根のところで「知らなくないもん!」という意識が先にはたらいてしまう状況の人を助けることはできない。

コンサルタントとしての振る舞い・考え方の本でしたが、年齢とともに経験を重ね知人から相談を受けることが発生している人が読むと「あれで、よかったのだろうか」と思うことを振り返ることができます。この本の本題は、わたしがふだん人間関係を考えるときに「エンゲージメントの度合い」として意識していることと似ていました。欧米と日本の "お近づき" の慣習の違いが如実に見えたのも興味深かったです。


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