タイトルが気になったというだけで読んでみた小説。
「ラ・マルセイエーズ」の歌詞(6番)への風刺ととらえるにしても、なんかシャレになっているような、なっていないような…。きっついなーこれ。という話でした。
きっついというのは、それがあまりにも現実だから。わたしはヨガ講師をしているけれど、シャーンティシャーンティシャーンティヒー と言っていられるのは、蔑視される側である現実をありありとみることから目を背けて居られている瞬間だけなのであって、さまざまな化けの皮を剥がせばおおむねそんなことも言っていられない社会で今日も生きている。という気持ちがいつもあります。
いやだから、そうではないから、そうなるように祈るのだ、というのもまぁわからないこともない。でも祈る人々のその先にある行動が、この小説の中に出てくる修道女の態度と変わらないのであれば…。
「他人の役に立つことをすべきだ」
って、もうすでに善いことを充分やってくれた人に、まだ言う? ユーが? ユーそれ言っちゃうの?
こういう瞬間って、あるなぁと思うのです。
この小説は、そういう「ある」をあぶりだす短編。こりゃすごい。気になる人は、読んでみて。