うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

夢を売る男 百田尚樹 著


わたしはたまにヨガ関係の知人から「あれだけブログを書いていたら、本を出しませんかって言われたりするでしょう」と言われることがあって、そのたびに驚きます。生まれてこのかた、そんなことは一度も言われたことがありません。「え?! そうなの?」と思った人は、この小説を読むとよいですよ。
この小説は読者以外の立場の人の事情、心理をあっという間に読ませてくれます。作家志望の人だけでなく、"好き" を仕事にしたい人までしっかり分解されています。主人公で出版社勤務の牛河原部長が営業をする様子を通じて、かつての「自費出版」からさらにその構造が巧みになっている「共同出版」(半自費出版)、のビジネスモデルを詳しく知ることができます。


以下、4「トラブル・バスター」という章からの引用です。
ここで言う「客」は、本を出したい人、丸栄社はふたりが勤務する出版社。部長と部下の会話。

自費出版じゃステイタスがあがらないんだ。金を使って自己満足で本を作ったと、周囲に受け取られる。それでは本を出す意味がないんだ。ところが丸栄社で出せば、これは自費出版ではない。ISBNコードもつくしな。一般書籍と同じ本ということになる。東野圭吾宮部みゆきと同じように、全国の書店に並ぶということが客の自尊心を大いにくすぐるんだ。そこがキモだ」
「実際は自分で金を出して作ってるんですけどね。それにISBNコードなんか個人でも取れるのに」

「ある種のタイプの人間にとって、本を出すということは、とてつもない魅力的なことなんだよ。自尊心と優越感を満たすのに、これほどのものはない。特に日本は本の持つ価値が高い。読書が趣味というだけで一目置かれる国だからな。その本を出す著者となれば、さらに一目置かれる存在になる」
「すると、本を出してありがたがるのは日本人だけですかね」
「いや、日本人は特にそうだが、実はどこの国にも似たような人間はいる。アメリカではこういうのを『バニティ・プレス』と呼ぶんだ」
「虚栄出版 ── ですか。そのものズバリですね」

「読書が趣味というだけで一目置かれる」って、そういうところはあるのかな。


この一つ前の章(3「賢いママ」)の最後で、牛河原部長は

「だから、この商売は一種のカウンセリングの役目も果たしているんだよ」

と話すのですが、
そのカウンセリング対象のクライアント(執筆者の一般女性)の気持ちが直前でリアルに描かれています。

 萌子はキーボードを叩きながら、今日は普段よりも調子よく書けていると思った。ママ友たちと喋った後はいつも筆が進む。あの馬鹿たちを見ると、早くあいつらとは違うステージに行かないと、という気になる。その意味では彼女たちは私のモチベーションを上げてくれるありがたい存在でもあるのだ。感謝しなくちゃ。

この小説の中でカモにされる執筆者はみな一様に、身近な人に一目置かれたい人ばかり。
でも文章を書くエネルギーって、どこか「あてこすりをしたい」という欲望に支えられているものじゃないかなと思う。わたしは自分のエネルギーの出どころは、そのようなものであると感じています。いっけんポジティブなことを書いていても、そうでないなにかが元気玉の核をなしているような。


ネット普及以降の分析も鋭くて、この小説の中でも半自費出版のターゲットはブロガーへ移っていきます。
以下、ブロガーと牛河原部長の会話。(6「ライバル出現」より)

「私のブログが本になるのですか」
「もちろん、決定ではありません。これから企画を出して、編集会議にかけなければなりません。販売部の判断を仰ぐ必要もあります。しかし、まずは筆者である須山さんのご意向を聞かずして進めることはできませんから、お電話を差し上げた次第です」
「私はかまいません」
 須山のトーンは明らかに上がっていた。
「わかりました。それでは企画書を作り、編集会議にかけさせていただきます。もし、出版が決まりましたら、すぐにご連絡いたします」

このちょっとハードルがあるかのような設定で、誰にでもあるチャンスではないのだという演出をしていくトーク! ターゲットの性格ごとにストーリーを分けていく営業対応テクニックが、あますことなく公開されています。
しかも狙う対象も、このように定められている。

(以下同じ章より)

「アクセスが何十万もあるようなブログは、ある程度の売り上げは見込めるから、大手出版社が触手を伸ばすのは当然だ。うちが狙うのは、大手が見向きもしないようなブログだ。アクセス数は関係ない。大事なのは更新数だ。誰も見ていないブログをせっせと更新するような奴は必ず食いついてくる」

容赦なくグイグイきます。誰も見ていないブログをせっせと更新するのって、楽しいんですよね。丸栄社のカモにされないように気をつけなくちゃ。


この小説は2013年の「本屋大賞」で1位をとった作品。この本の中で描かれたビジネスは4年経って、いまはオンライン化も進んでいます。これが詐欺かというと詐欺ではない、かな…。みたいな線引きも、牛河原部長の語りを読めば「夢を買った」ということで納得できそう。
そう、これはあくまで「詐欺的」なだけ。この小説ではマルチ商法の延長的な本気の詐欺も登場するので、「限りなく黒に近いグレー」と「確実に黒」の境界も学べます。いずれにしても、コストを回収することを二の次にしている人には詐欺ではないのです。という意味で納得のタイトル「夢を売る男」。
うまいこと書くもんだなぁ…。



▼2019年に再読しました
uchikoyoga.hatenablog.com