うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

ポジティブなだけじゃないわたしと一緒に練習してくれて、ありがとう


ニンニキニキニキ♪ニンニキニキニキ♪ 西へ。
わたしが西へ向かうとウキウキするのは、この歌のせいもある。
広島も神戸も複数回お会いしているかたがおいでになり、「今回はいつもと違う感じで話をしていた」といわれたのですが、それはここ半年くらいで、わたしがこんな気持ちを噛みしめているから。


 ポジティブなだけじゃないわたしと一緒に練習してくれて、ありがとう。


「ポジティブなだけじゃない」というのは、東京で一緒に練習している人がボソッとくださったフレーズです。「ポジティブなだけじゃないから、一緒に練習しやすい」といわれて、それはわたし自身が練習を長く続けるために無理に自分を創ろうとしないように気にかけているところでもあったので、そのまんまだなと思いました。


ポジティブなことを口にするのはいいことだ、みたいな習慣的信仰がありますが、わたしはそれとセットでほかの誰かやなにかを下げることになるのであれば、黙っていたほうがいいと考えることが年々多くなっています。
心の中であげあしをとろうとしたり交換条件を備えた状況は、自分の居場所をどんどんなくしてしまう。自分で幻想を掲げて自分で壊す。これを他人に向けると、その関係はたいがい壊れる。経験上、そう感じます。(それも含めて、ヨーガ・スートラの2章33節はおもしろいことをいうなぁ…と思って読んでいます)


そんなこともあって、ヨガクラスで話すトピックは、できるだけ時間をかけて自分の経験から出てくるものを待って話すようにしています。この「待つ」作業は、煮物のアクが浮いてくるのを待つ感じと似ています。出てくるもの自体はアクなので、見た目はきれいではありません。


 でも、まぎれもなく、自分エキス。


このアクを網ですくって分解してじろじろ見て、「うわー」ってのをやって繰り返すと、自分の言葉を使って料理して、少しずつ話せるようになる。最近そう感じるようになってきました。
通常であればジャッと水道の水で流してしまうあのアクは、流してしまえばそれまで。でも火で浄化しようとするたびに、毎回出る。
なので、一緒に練習をしながら、人間を見ながら、


 なんで毎回出るかねぇ。あなたの、わたしの、このアク。(笑)


と、そんなことを思っています。練習をした後の充実感は、同じ釜の飯を食った仲間ではないけれど、同じ鍋で煮られたことがある具財仲間のような。そんな気持ち。
浄化の過程ではアクが出る。でも、こんなふうに集まって同じ鍋で煮たら、ちょっと楽しい。だしの風味が地方によって違うのもおもしろい。こういうレシピをどんどん考えたいなぁと、今回はそんなことを思いながら帰ってきました。


▼冒頭から話についてこれなかったかもしれない、ヤングのみなさまへのおまけ(聴くと元気の出る魔法のマントラ