うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

コーラン (名著誕生)  ブルース・ローレンス著 / 池内恵 (翻訳)


10年くらい前の本をいま読むとその経緯に少しだけ追いつける気がする、最近そういう読書が続いています。
キリスト教の人たちがイスラームを理解しようとするときのさまざまなあり方について、とても微妙なところが伝わってきます。
この本はコーランの成り立ちから、解釈者、その後の現代イスラームまでをブルース・ローレンスという人が書き、それを池内恵さんというかたが訳し、巻末に『対談「この本を読むために」塩野七生×池内恵』が収録されています。
ちょっとややこしいのですが、この元の本を書いたブルース・ローレンスの立場やスタンスについては巻末の対談で説明がされています。

池内 著者は非常に苦しくバランスを取ろうとしています。この本の七○パーセントくらいはコーランが神の言葉であるということを前提に書かれているんです。しかし残りの三○パーセントは、それを信じない人の視点が入っている。
塩野 著者は、イスラーム教の信者になられたのでしょうか。
池内 この人はクリスチャンでしょう。リベラルなクリスチャンとして、イスラーム教も含んだアブラハム一神教の共通性を、西欧のクリスチャンに語りかける立場をとっているとみられます。
(巻末対談 「この本を読むために」今イスラームを理解するということ より)


この本は読みすすめていると「なんだかふわっと歩み寄っていくような内容」というふうに見えるのですが、そこについても巻末で訳者が語っています。

 何か異なるものを理解しようとする時に、まず共通の部分を探すというのは一つの方法です。けれども「啓示」という絶対・普遍の信念については、それが可能であるかどうか、定かではありません。著者はそれでも共通の部分を探そうとする。第5部のように、原理主義者と穏健派という分け方をして、穏健派の方とは対話の可能性がある、という議論であったり、あるいは病からの癒しを求める呪術的な祈祷といった世界の民衆宗教に共通する要素を見出すことで、イスラーム教徒もある種、われわれと共通の答え方をしている、と、共感の場を見出そうとしている。
 私の研究者としての立場としては、そういうやり方は成功しないのではないかという思いもあります。しかし欧米のリベラルなクリスチャン、あるいは西欧に多い無神論に近い世俗化した人にとって、この本の議論の仕方には受け入れやすいところが多いでしょう。われわれ日本人にとっては、このことを知るというのも、非常に重要だと思います。
(巻末対談 「この本を読むために」西欧社会におけるイスラーム より)

「ふわっとすること」や「共通点として光を当てる部分の選び方」そのものが読みどころでもあったようです。
わたしの場合はコーランの世界にスッと入ってしまえたけれど、キリスト教の人のメンタル面での初期設定値は想像がつかない。この本を最後まで読んだら、「なるほどこういうところからじわっ、じわっといくのか」という理解になった。なかなかこういう本はない。
フランスのシャルリー・エブド襲撃事件のとき、「フランスは成熟した国だから、別の角度からイスラームに共通項を見ようとする人だって実はたくさんいるだろうに」と思っていたのだけど、そういう面は知り得ないもの。「啓示宗教」というくくりのなかでの理解の示し方のむずかしさは、やはりとても微妙なものらしい。


わたしは本編を読んでいる最中は「3 解釈の試行」がすごく興味深くてルーミーの詩も読んでみようと思ったけれど、こうなる時点で結局「訳をするということはどういうことか」という共感に寄っていて、それは釈道安の仏典翻訳論を興味深いと思いながら読むのと変わらないのだと気がついた。
それでも本編にはおもしろい角度での解説がたくさんある。かねてより不思議な魅力だと思っていた「なぜコーランは、誹謗中傷を受けた人にかける言葉がこんなにすごいのか」という点について、「1 アラビア半島での発祥 第3章 アイーシャ 敬虔な妻」にその背景が書かれていました。「嘘の事件」というもの。アイーシャの不貞のうわさを立てて誹謗中傷した者たちがいて、その嘘があとで啓示(天使ガブリエルが預言者に啓示)されるということがあったそう。
この流れを知った上で以下の節を読むと、沁みるのです。

慎み深き女性を四人の証言を示さずに非難する者どもは、八十回の苔打ちにせよ。そしてそやつらには二度と証言を許すな。連中こそ不義の輩だ。
(第24章「御光」第4節)

イスラームに対して男尊女卑のイメージがある女性は、こういう節を読むと「日本にいるよりずっと大切にしてもらえそう」という気分になりますよ。女の部下を御輿に乗せておいてあとでハシゴを外す男の上司などがいたりする環境だと特に。


コーランもギーターもわたしにとっては駆け込み寺のような存在の書物だけど、聖書を読む人にはそういうわけにもいかないとなると、それはそれでもったいない気もします。イスラームの中でもスーフィズムは西欧人がこぞってインドにヨガをしに来るのと同じようなアプローチに近づけそうだけど、まあでも根っこが啓示書物であることは変わらないしな…。
キリスト教からイスラームへ、がばっと抱きつきにいくわけにもいかない、とても微妙な関係。コーランムハンマドの伝記を読んでからのほうが読みやすい本です。


▼近ごろ少しタイトルを変えた新書になって出たようですが

(089)コーランの読み方 (ポプラ新書)
ブルース ローレンス Bruce Lawrence
ポプラ社


▼対談が確実に読めるのはこちらです

コーラン (名著誕生)
コーラン (名著誕生)
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ブルース ローレンス
ポプラ社


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