週に数回利用する都会の駅に、ICカードのチャージと履歴参照・印字だけをする、ひとつだけ追加されたような存在の機械があります。
定位置に並んだどっしりした機械のほうは、とりあえずICカードを入れてから操作ができます。でもこの一台だけ追加されたっぽい機械は、まず画面にタッチして「チャージ」「参照」「印字」の意思表明をしないとカードを受け付けません。いちど勢いで差し込んだらカードが抜けなくなり、駅員さんに出してもらったことがあります。
一度経験したので注意はしていたのだけど、
今日も一瞬カード入れてもよいような気がして、
「おっといけねぇ…」となりました。
わたしは自分の存在を、この「ひとつだけ追加された機械」のように感じることがあります。
助けに行ったら、いきなりハードなコミュニケーションをブスッと雑に差し込まれるなどのときに、そう感じます。なので、この機械に対して「ごめんなさい」という感情が強くわきあがる。
そして、思うのです。
この機械のように
受け付けない仕様にしておく
ということが、ときにはすごく大切かもしれないと。
わかる人には、わかるのだし。それだけでじゅうぶん。
舌打ちされても、受け付けない。
こういうのって、大切かもしれない。