うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

急にグッと迫ってきて恥ずかしくなるあの願望

先日、アラセブ(around 70歳)の母が、自分の習っているヨガ教室の先生が着用しているヨガウェアが欲しいというのでネットで注文の代行をしました。
そのヨガ教室の先生はすらりと長身、スタイルのよい、いわゆる「ヨガインストラクターとはこのような!」という佇まいの女性です。
「真似するのはよいにしても、サイズは大丈夫なのか」と母に尋ねたら、その先生にサイズもどれを注文したらよいか、事前に聞いてきたといいます。
こういうときは一切なにも言うまい、深くは考えまい。というのが、娘としてのわたしの生きる知恵。


ちなみにその生地は、それはそれはたいへんよく伸びる素材のようで、商品到着後、たいへん喜んでおりました。
一件落着。



 ・・・と思いきや。



わたしに、また「ひとり相撲」の土俵が現われました。
その注文をしてから、そのお店のメールマガジンがわたしのもとへ届くようになったのです。
メルマガというのは淡白なメールソフトで見ると、妙に文字の綴りを認識しやすくなるもののようで、印象が文字で迫ってきます。




 Forever21からのお知らせ



 (これすなわち)



 永遠の21からのお知らせ




なんだか、急に、恥ずかしい。
とてつもない恥ずかしさが押し寄せてきます。
そうだ! こういうときは、倒置をすると少しマイルドになるのであった。「ヤマトよ永遠に」のように。




 21よ、永遠に




ふ、ふぅ。 ・・・やっとおさまった。
わたしは毛穴が開くといっきに身体がかゆくなるのですが、やがてかゆみも治まりました。
みなさんも急にこんな感じで毛穴が開いたら、フレーズの倒置をしてみるとよいですよ。
倒立をすると気分が落ち着くのと似た原理です。



さて。
60歳をすぎてからスプタ・クールマ・アーサナにチャレンジした母は、あれから地味にヨガを続け、最近ふたたび手のひらを使って倒立ができるようになりました。とてもうれしそう。
そうなのです。練習をするときの気持ちは、まさに



 永遠の21



数字で思い出しました。
ハタ・ヨーガ・プラディ・ピカーの2章47節には「16歳の若者になる」と書いてあります。
21なら、まだ謙虚なくらいですね。


先ほどの恥ずかしさは撤回します。