うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

しょうがの味は熱い 綿矢りさ 著


二編に分かれているけど同じ登場人物の話。前半の「しょうがの味は熱い」の、そのタイトルの表現に行き着くまでがすごくいい。
結婚になかなか進まない(男性が踏み切らない)同棲カップルの話なのだけど、どちらの心情描写もうまい。

このカップルの男性・絃は、飲み会で重い話をする女性に手厳しい。

 期待を裏切らずに、本当にしゃれにならない話を始める奴もいる。みんな興味もあって熱心に聞くし、僕も聞いてしまうけれど、なんていうか、傷つけられた、というスタンスから始まる話はどうしてもいらいらする。甘えてるんじゃない、と一昔前の親父みたいに、怒鳴りつけたくなる。

この男性は会社でうまいポジションをとれなくて、でも社畜化するしかないようなふがいなさもあって、静かに狂いはじめている。男性がこんなふうに狂っていくプロセスを、よくうまく書くものだと思う。
身近な男性がこんなふうに芯を亡くしていく様子を、支えるでもなく見限るような残酷さで描いてしまうなんて…。とても正直だと思う。



主人公の女性、奈世は、こんなものの見かたをする。

 そしてクリスマスイヴの夕方、空港から絃は急いで帰宅し、時計を見たあとに、セーフ、と安堵の表情になった。絃のなかでは私は休暇ではなく義務の一部に入っているのだ。それは私が、というよりどちらかというと、絃が不幸だ。

あまりにも冷静に、順当に狂っていく。だいたい結婚を意識するときというのは、若ければ狂う。



わたしは若い頃に同棲めいたことを宿泊する側・宿泊承り側どちらもしたことがあるのだけど、この表現のうまさには唸るしかない。

夜明けに目覚めたら何もかぶっていなかったときが何度かあり、もともとは彼の布団なんだし文句言いにくいよなと寝ぼけた頭で大きめのバスタオルを箪笥から引っ張り出していると、意味は違うのに "素泊まり"という言葉が思い浮かんだ。

そうなのだ! 疎外感でもアウェイ感でもなく、「素泊まり感」なのよね…。若くてかわいい。


絶妙なところで絶妙な表現をひねり出してくる。キューンとしながらも根底にあるいや〜な安住願望を描くのがうまい。こういうプロセスでの自己肯定は痛いものだけど、若さってこういうことでもあって、そこを抱きしめるでもなく淡々と描いているのがおもしろい。
結婚したい人にはグサグサくるだろうけど、こういうみじめな思いをしなきゃいけないの? という場面への免疫をつけるにはいいかも。


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