うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

器を小さくすれば満ちる

わたしは「満たされる」「満たされない」というのが、胃袋以外の部分に使われる感覚表現としていまひとつわからないのですが、アーサナの練習のあとに起こる現象として、たぶんこれは抽象的に言われる「満たされる」ではないかと思うことがよくあります。
ヨガ以外の場面で「満たされる」という表現を聞くとき、「それは高揚感では?」と思うことのほうが多く、底上げという印象を受けます。楽しさで一時的になにかを忘れることと、満たされることは、わたしのなかで微妙に違う。


わたしが知っているのは、自尊心という器を小さく削ると、満たされる感じがするということ。余計なことを考える隙間がなくなると、そうなります。
もうひとつ、空白を空白で満たすという方法があります。これは瞑想の練習をしないとわからないと思いますが、これをいつなんどきでも再現できるかというと、それもコンディションしだい。
いずれにせよ、空き容量を「空白以外のなにか」で満たそうとする行為は、他のところからなにかを奪ってくることでもあったりして、それは脳内で生成した差異で認識する幻想なので、自家発電力にならないんですよね…。


「器が小さい」というとなんだかダメな人みたいだけど、「無駄な容量を削って器が小さくなり、満ち満ちています。わーい」という感じになるのが、アーサナ後の爽快感と充足感のメカニズムだと思っています。



▼似た感覚の記憶
今日書いたことは、昨年書いた「自尊心をひっこめるためにヨガをしている」という感覚と似ています。