うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

気持ちを脱ぎ捨てたり着替えたい人に、ヨガを。


だいぶ前のことですが、ヨガクラスに初参加した人から、姓でなく名で呼ばれたいというリクエストをもらいました。
わたしには「ヨガの練習をする時間くらいは、いろいろ脱ぎ捨てられる場にしたい」という思いがあります。
特に女性は参加するにあたって、仕事のみならず家族へのエクスキューズが必要な人もいます。配偶者と共有する姓で呼ばれることから解放されることで、より身体が動くということもあるでしょう。(実家の苗字を捨ててスッキリという逆パターンもあるけどね)




 大切な時間を知られずにすむならば、すんだほうが助かるなぁ…




楽しい時間に対して、あとで罪悪感を感じてしまう。こういうことって、ありませんか? わたしはあります。理論上それは感じる必要のない罪悪感だけど、感情の種は個人の中で発芽するから、理屈じゃないのよね…。
自分で自分の時間をコントロールしにくい人ほど罪悪感を背負いやすいという状況は、理想論をとり除けばけっこうある話。家庭であれ職場であれ、組織の中では忠誠心を適切に表現できないと、ある日突然ガツンとやられたりするし。


そんなわたしはいつも練習中に、忠誠心ではないシンプルな前向きさを自分の中に見出す瞬間を楽しんでいます。練習をやめられない理由は、ここにあるかもしれません。



 脱ぎ捨てたくなったら行ける場所。
 この身体は替えられないけど
 あそこへ行けば気持ちだけは着替えられる! と思える場所。



わたしが自分で設定する練習の場では、「こういう稽古場があればいいのに…」というかねてからの思いを大切にしています。「どこどこの、だれだれさん」という紐付けのない時間は、とても特別な時間。
練習って、すごく個人的なものですからね。