なにげなく手に取ったらおもしろくてイッキ読みしてしまいました。理論的な根性論。
大衆芸術と純粋芸術の背景をきちんをわけて認識し、歴史背景ルールをしっかり学んで創り、その環境を組織として運営していく。純粋芸術のクライアントは大金持ちだから、求められるものは大衆芸術と違うというのは至極あたりまえのこと。このあたりまえのことにまっすぐに向き合って戦略を立てることを嫌う日本人は多い。
日本の状況の以下の見かたは、すごく冷静だなと感じます。
宗教にしても、自然の理不尽、病気の理不尽、社会の理不尽といったものに対峙するための方便として機能していました。現代社会においては、そういう意味での宗教はかつてのような力を失い、その部分の役割はサイエンスに取って代わられました。
そのサイエンスが劣化して「正論」となり、それが今現在、身を守っていくための方便になっています。(P131)
サイエンスが劣化して「正論」になっているというのは、うなります。
スタッフのキャスティングの基準も独特です。
どのようなかたちで適正を判断していくかは業種によっても変わってくるものだとは思います。ぼくのやり方として、いちばんは "腰つき" を見ます。
よく「身を乗り出す」「腰が引けてる」という言い方がされますが、それは実際の姿勢にちゃんとあらわれます。(P128)
わかる…。口ではボヤいてても腰は入ってるって人は伸びる。その逆もある。わたしも腰と足先ばかり見てる。
メンタルとフィジカルへの視点が、圧倒的にまっすぐにみえます。
芸術家は脳で生きている人種と思っている人は多いのでしょうが、そうではありません。
芸術家は "覚悟と肉体を資本としたアスリート" です。(P48)
体力勝負のとこ、あるもんなぁ。
かと思えば、こういうこともきっちり言い切る。
アート業界はご機嫌取りとは無縁の世界だと考えているのだとすればまったくの誤解です。むしろ "どれだけうまくご機嫌取りができるかが問われる世界" です。(P29)
相手は大衆ではない。のちに大衆芸術と純粋芸術の資金の出どころの違いについても整理して語られています。
この本は巻末に村上隆さんとドワンゴの川上量生さんの対談があり、村上さんの素朴な質問への川上さんの回答がおもしろい!
村上:オワコンというのはネットユーザーが口にする言葉なんですか?
川上:だいたいやめた人が言うんですね。会社の悪口にしても、やめた社員が言うのと同じです。やめたことを正当化したいという欲求があるからですね。何かのサービスを利用している最中はオワコンとは言わないけれど、やめると言うようになるんです。
質問の素朴さがいい。そして回答が明確(笑)。
日本人が芸術のなかの文脈を嫌うというのも、すごくわかる。ストーリー単価の高いものを売る人の志は、ストーリー単価の低いものを売りたい人には理解されないだろうな…、というところに巻末のこの対談。マッチングがナイス。