うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

救われなかったら、どうなっていたの

「〜に救われた」というのはたぶんテンプレートみたいに使われている表現。わたしもよく本の感想を書くときに使っている。
このフレーズはヨガをしている人のブログでも見かけ、そういうとき、わたしはその人がヨガに救われなかったらどうなっていたのか知りたくなる。でも救われたといっている人に救われなかったらどうなっていたかはわからないだろうから、あとはこちらで引き取って勝手に想像をする。
そういうとき、わたしのなかに必ず出てくるのは



  ええじゃないか踊り



の絵。
日本史の教科書で見たもの。いつかはわからない。
なんかいろいろ、もういいんじゃないの? みたいなことを、昔の大人が大勢でやったっぽい。授業ではあっさり流された。しばらくたいへん気になった。20年経っても思い出すほど気になった。
「救われた」の対義語的になぜこれを想起するのかわからない。でも想起する。そのあとに「踊念仏」というのものがあったことを知った。


誰も救ってくれないと思ったらこうなるんじゃないかというイメージが、わたしにとってはこういうこと。
どうも根本的に「楽しみがないなら、自分で快楽物質を出しちゃえ。ってなるんじゃないかなー」と思っているフシがある。
スピリチュアルとか引き寄せとかつながりとか呼ばれるとか、そういうのよりももっと物質的なものだと思っている。
頭を打ってるのでね…。(頭を打った話は前に書きました