うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

心配しているかのような人

共通の知人について聞いてくる人を見ていて思ったこと。
べつに事故にあったとか入院したとかでもないのに、



 「あいつ、大丈夫かな。連絡取ってる?」



知人について、別の知人がこのように軽い挨拶がてら、聞いてくる。(この場合は聞いてきた人も噂の対象も男性でした)
この人たち、 Facebookで繋がっているのではなかったっけ。なぜわたしに聞くのだろう。
ふと



 「よくない状況を期待しているの?」



という思いがよぎる。
そう感じたのは、「大丈夫かな」といわれているほうの人が新天地で頑張る選択をしていて、いろいろ優先順位が変わる時期だったから。
その人の情報を求めて「元気かな」ではなく「大丈夫かな」というフレーズが出てくるのは、芸能ニュースの見出しをクリックするのと同じこころの状態ではないか。具体的になにかを心配しているなら、「○月ごろこういう様子を見て気になっているのだけど」のような文脈になるのではないか。
「大丈夫かな」といいながら他人の口からさらに情報を引き出すのも、「みんなそういってる」というあいまいさ同様、こわい。疲れているときに脳内がこういう文法になってしまうというのはわかるのだけど。


わたしは誰かがなにかの決断をして行動を起こしたとき、知人Aの決断や行動や出来事を、共通の知人に話さないということを徹底しています。このスタンスに対して「水くさい」とか「秘密主義」という人は、日々のできごとにエキストラみたいなスタンスで関わっていたり、他人が用意した場を消費するだけ消費することが多いのではないかな。なにかをグイッと推し進めていくとき、最良のバランスで着地するために秘密主義になるのは自然なこと。
本屋の平積みを見て、こんな皮肉なフレーズが浮かぶ。



 「人生がときめかない しがらみの黒魔術」



わたしの秘密主義は、行動を起こす人のやる気を削ぐ言葉をかける人が現れないよう、黒魔術が発生しないよう、祈るような気持ちで黙すこと。
年度の変わり目は再会のシーズンなので、こういう面で少し緊張します。でもこの小さな心がけがいまの快適な人間関係の礎になっていると感じるので、わたしはこういう情報管理を大切にしています。
ひとりで行動を起こしている友人知人には、うまくいけ! というエールを黙って送っています。