うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

仮説のある人が上達する、という仮説

ここ数年いろいろな人を見ていて思うのですが、ヨガは経験年数や回数よりも「毎回仮説を立てるような感覚を持っているか」が上達に太くかかわっているみたい。


 やっぱり!


という感覚が、なにかを確かなものにつないでいく。
わたしの好きなフレーズに、松坂大輔投手がまだすごく若いころにおっしゃった


 自信が確信に変わりました


というのがあります。
これと似たことをよく思うのですが、ヨガの場合も、たとえば難しい角度で身体を組むとき


 仮説が法則として認識されました


というのを繰り返した回数が、確信に近づくのに重要と感じます。
100回の練習で毎回仮説を立てていれば、法則を導き出すための「母数」は100になる。
100回練習しても、まったく仮説を立てていなければ「母数」はゼロ。
それでも身体はメディアのようなものだから、それなりに勝手に何かを記憶して、上達のようなプロセスをたどる。思い込みが外れるだけでできることもある。


でもなにかを明確にやり遂げるなら、自分の身体で感じる仮説を持ったうえでヒントを受け取るのがいい。『回数を重ねたら、そろそろわたしにも「やっぱり!」が来ますかね』というスタンスでは、自分の感覚で仮説を持って望む回数の母数がゼロだから、割り算が成立しない。「できる」は再現性なので、割り算。この割り算が要らないくらいになると、達人になるのだと思う。
ちょっとチャレンジングなアーサナをこなしたい人は、『こうではないか』と感じながら練習することをビビッドにやっていくといいと思います。こうやって達成していったもののほうが、ほかのことでも応用が利きます。習得したものが、「法則」だから。よくいう「ダルマ」です。


わたしは練習を繰り返すことでヨガ以外のことでも法則を見つけられる、応用が利く人が増えるといいな、と思っています。わたしも以前インド人の先生に「consciously!!!」と口すっぱく言われましたが、「食い散らかす挙動が癖にならないように、意識的にやれ」ってことなんですよね。
なんか日本語にすると「意識高い系」みたいで痛々しいけど(笑)。